宗教でもNPOでも組織が効率を求めるときに起こる人間疎外

公開日: 2014-09-23 組織

岐阜県恵那市の仲間と一緒に行った神社。
今は管理する人はいない、無人の神社。


大谷さんのインタビューでも言ったことだけど、
NPOならミッション、宗教なら信仰、というのは

その組織を維持していくために最も重要なことのひとつだろう。




組織を”管理”するうえではそのとおりだと思う。
実際ぼくもNPOでつとめているときはそれが常識だと思っていたし
そうすることで”ブレない軸”のようなものができる実感もあった。

でも、その”ブレない軸”をつくるために切り捨てているものがある。
それは、その場に集まる人だったり、自分自身のことだったりする。

ぼくがNPOに入ったときに、希望を感じたのは
「ここにいれば、自分が問題だと思ってきたことを
見ないふりをせずに生きていける」
という、安心感だった。

たまたま、ぼくの場合は教育という分野だったけれど、
それが福祉だったり、在日外国人だったり、地方の活性化だったり、
いろんな分野で、そんな希望を感じて働くNPOワーカーは少なくない。と思う。

社会の中で、本当は問題なのに無かったことにされたり、
どうしようもないこととして放置されている問題を解決する仕事。
そう聞くと、多くの人がワクワクするし、希望も膨らむ。

世の中が効率化される中で切り捨てられてことを、
もう一度拾い直したり、切り捨てられたケアをする行動。
それ自体は、誰に批判されることでもないし、必要なことでもあると思う。

しかし、その活動をするために、そこに関わる人や、
活動を進める当事者である自分自身のことを切り捨てているなら、
「おいおい、ちょっとまってくれ」と言いたくなる。


活動自体は必要なものかもしれないけれど、
そのために切り捨ててしまうものがあるなら、
それはその活動が無くそうとしている現象や構造を
再生産しているんじゃないだろうか。

効率化されていく中で出てきた問題を、
効率的に解決するために、新たな問題を生む。
そんなことを続けていけば、加速度的に問題は膨れあがる。

僕としては、ミッションや信仰の前に、
自分自身やそこに関わる目の前の人が最も大切なのではないかと思う。

とっても非効率かもしれないし、
そんなことをしていたら時間がいくらあっても足りない、
なんて言われるのかもしれないけど、
そういったことを避けてきた結果が、ぼくらが”問題”と呼ぶものだと思うので、
できうる限り、この研究と実践を続けていこうと思う次第です。






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