疲れに対する考察 「疲れをないことにしない」

公開日: 2017-04-12 日記



この数日は、土日に東京と岐阜の友人と一緒に開催した「春の宴キャンプ」の疲れが出て頭も身体もちょっと動きがにぶい。まるで低速回線のネットみたいにゆっくりとしか動けない。

基本的になにをするにしても楽しかったり、やりたくてやることしかしていないから、こういうとき疲れを実感するのは難しい。もちろん無理に疲れを感じなくたっていいんだけど、本当は疲れているのに「なかったように」動き続けると、経験上ろくなことが起こったためしがない。

最近、山の上のほうが白くなってきたら、じきに雨が降り出すなとか、そういうことが経験上分かるようになってきたけど、「疲れ」についてもこれと似たところがある。

「ある」はずの疲れを「ない」ことにしてると、楽しいと思っていたことや、やりいと思っていたことは、「”元”楽しかったこと」「”元”やりたかったこと」となって原型をから形を変えていく。そのまま放っておけば元の感覚はドロドロになって変身して、さらにそのまま進んでいくと「やるべきこと」として羽化する。

さすがに今となると、「やるべきこと」の成虫にまで育つものはほとんどなくて、「”元”楽しかったこと」「”元”やりたかったこと」を見ると、「これって今やりたいことなんだっけ?」と立ち止まったりするようになってきていて、身体が疲れ切っていると寝る時間を多くしたり、身体は元気だけど何もやる気にならなければ散歩に行ったりしている。

晴れる時が来れば、わざわざ過去に頼らなくたって、今やりたいこと、今楽しいと思うことは初夏に茂る雑草や木の芽のごとく次々と出てくる。雨の日ばかり続くと心配になるけれど、そんな不安を吹き飛ばすほど、おてんとさまの働きってやつはでっかい。ということも「経験上」分かってきたこと。

おかげで、ようやくこうしてブログを書きたいと思えるようになって、パソコンの前に座ることができている。



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