冬の京都で時間を感じる円座
公開日: 2013-02-23
前回京都で開いた円座(非構成のエンカウンターグループ )にて、
「またやりたい。」
「またやってほしい。」
そんな声をいただいたので、真に受けて2回目を開催しま す。
今回も
貴子ママ( http://www.facebook.com/ takako.tanaka.355 )
と一緒にやります。
非構成のエンカウンターグループ、というより僕が学んだ 円座とは何なのか?
これまで、僕自身はこの問いに対して応えられる手がかり が
無かったので、どのような場なのか説明するのを避けてい たのですが、
最近すこしだけ言葉になるものがあり、
今回、挨拶の場を借りて文字にしてみようと思います。
それではご覧ください。
冬の京都で時間を感じる円座 のご案内
========================== =======
非構成のエンカウンターグループのことを、僕が学んだ場 所では
「円座」と呼んでいました。ほとんど同じ意味なのだそう ですが、
カールロジャースさんが発明?したものが、日本で広がる 中で
少し変化してきている部分もあるそうで、あえて円座と使 いだしたのだとか。
僕自身も「円座」という響きが好きなのと、エンカウンタ ーグループというと
ちょっと距離を感じるので、円座という表現を好んで使っ ています。
では、その円座とは何なのか?
短く言えば、同じ時間、同じ空間に、ただ円を作って座る 。
それだけの集まり、ということになります。
話し合うテーマも内容も集まる人も、何も決まっていない 。
まったく構成がされていない集まり。
話したければ話してもいいし、話したくなければ、
一言も話さずに帰ってもいい。
そんな場です。
(ちなみに僕は勝手にテーマを決めたものを円座トーク、
として行っていますが、たったそれだけでも、全く異なる もの、
と言っていいくらい場の質が変わります。)
当然、そこで何がおこるのかは何も約束されていませんが 、
円座では、そういった不確実性の中から生まれる「何か」 を
強く信頼している場なんじゃないかと思います。
(場を開く人≒ファシリテーターは特に。)
僕が出会った円座のファシリテーターの方の言葉を借りて 言えば、
「その場に必要なことが必要な分起こる場。」
そもそも、
人が存在そのものをかけて座るとき、
「出会ってしまう」のは偶然でしょうか?
僕たちは人と出会う際に自己紹介をします。
通常それは、自分がどこの誰であるか、
どんな組織に属しているか、どんな肩書きか、
どんな仕事をしているかを相手に伝え、
相手からもそれを伝えられます。
しかし、何十年も生きてきた存在同士が、本当に出会うた めには、
身分や所属、収入や地位、肩書きは、必要でしょうか?
そういったプロフィールに依存しない出会いは無いのでし ょうか?
日本史家の網野善彦は膨大な史料を読み込むことで、
世俗の縁が無い場所に働く力、「無縁の原理」を解き明か し、
無縁が持つ生き生きとした力を掬い上げました。
代表的な著書『無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和』 によれば、
駆け込み寺や河原、辻、市などが代表的な無縁の場とされ 、
そこに暮らす無縁の人は世俗のつながりを絶ち、
それ故に特別な力を持つとされ、芸能やものづくり、
商いといった仕事についていました。
また、その昔、無縁の人であった職人たちが作った座(組 合)のように、
無縁の存在として座を組み、新たな規則に基いて縁を結ぶ ことを、
思想家で人類学者である中沢新一は著書「大阪アースダイ バー」の中で、
「超縁」と呼んでいます。
これらの考えを手がかりに、円座を改めて表現するなら、
目の前の人のプロフィールを横に置き、
お互いに無縁の存在としてただともに座ることで、
存在そのものに出会う場、とも言えそうです。
無縁の存在として出会う(エンカウントする)場。
同じ時間、同じ空間に、ただ円を作って座る。
たったそれだけのことから始まる出会いの座。
ちょっと固い&長かったですかね。。?笑
これからゆっくり改良?研鑽?して行きたいと思いますが 、
今回はこのバージョン、ということで。
それでは、よろしければご一緒しましょう。
日時:2013年2月23日(土)13時〜17時
場所:岡崎いきいきセンター 事務所の棟の2階
参加費:1000円
参加定員:8名
参加申し込み
kkenjik@gmail.com
まで。お名前、連絡先を記載してお送りしください。
「またやりたい。」
「またやってほしい。」
そんな声をいただいたので、真に受けて2回目を開催しま
今回も
貴子ママ( http://www.facebook.com/
と一緒にやります。
非構成のエンカウンターグループ、というより僕が学んだ
これまで、僕自身はこの問いに対して応えられる手がかり
無かったので、どのような場なのか説明するのを避けてい
最近すこしだけ言葉になるものがあり、
今回、挨拶の場を借りて文字にしてみようと思います。
それではご覧ください。
冬の京都で時間を感じる円座 のご案内
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非構成のエンカウンターグループのことを、僕が学んだ場
「円座」と呼んでいました。ほとんど同じ意味なのだそう
カールロジャースさんが発明?したものが、日本で広がる
少し変化してきている部分もあるそうで、あえて円座と使
僕自身も「円座」という響きが好きなのと、エンカウンタ
ちょっと距離を感じるので、円座という表現を好んで使っ
では、その円座とは何なのか?
短く言えば、同じ時間、同じ空間に、ただ円を作って座る
それだけの集まり、ということになります。
話し合うテーマも内容も集まる人も、何も決まっていない
まったく構成がされていない集まり。
話したければ話してもいいし、話したくなければ、
一言も話さずに帰ってもいい。
そんな場です。
(ちなみに僕は勝手にテーマを決めたものを円座トーク、
として行っていますが、たったそれだけでも、全く異なる
と言っていいくらい場の質が変わります。)
当然、そこで何がおこるのかは何も約束されていませんが
円座では、そういった不確実性の中から生まれる「何か」
強く信頼している場なんじゃないかと思います。
(場を開く人≒ファシリテーターは特に。)
僕が出会った円座のファシリテーターの方の言葉を借りて
「その場に必要なことが必要な分起こる場。」
そもそも、
人が存在そのものをかけて座るとき、
「出会ってしまう」のは偶然でしょうか?
僕たちは人と出会う際に自己紹介をします。
通常それは、自分がどこの誰であるか、
どんな組織に属しているか、どんな肩書きか、
どんな仕事をしているかを相手に伝え、
相手からもそれを伝えられます。
しかし、何十年も生きてきた存在同士が、本当に出会うた
身分や所属、収入や地位、肩書きは、必要でしょうか?
そういったプロフィールに依存しない出会いは無いのでし
日本史家の網野善彦は膨大な史料を読み込むことで、
世俗の縁が無い場所に働く力、「無縁の原理」を解き明か
無縁が持つ生き生きとした力を掬い上げました。
代表的な著書『無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和』
駆け込み寺や河原、辻、市などが代表的な無縁の場とされ
そこに暮らす無縁の人は世俗のつながりを絶ち、
それ故に特別な力を持つとされ、芸能やものづくり、
商いといった仕事についていました。
また、その昔、無縁の人であった職人たちが作った座(組
無縁の存在として座を組み、新たな規則に基いて縁を結ぶ
思想家で人類学者である中沢新一は著書「大阪アースダイ
「超縁」と呼んでいます。
これらの考えを手がかりに、円座を改めて表現するなら、
目の前の人のプロフィールを横に置き、
お互いに無縁の存在としてただともに座ることで、
存在そのものに出会う場、とも言えそうです。
無縁の存在として出会う(エンカウントする)場。
同じ時間、同じ空間に、ただ円を作って座る。
たったそれだけのことから始まる出会いの座。
ちょっと固い&長かったですかね。。?笑
これからゆっくり改良?研鑽?して行きたいと思いますが
今回はこのバージョン、ということで。
それでは、よろしければご一緒しましょう。
日時:2013年2月23日(土)13時〜17時
場所:岡崎いきいきセンター 事務所の棟の2階
参加費:1000円
参加定員:8名
参加申し込み
kkenjik@gmail.com
まで。お名前、連絡先を記載してお送りしください。