”はたらく”と「傍(はた)」+「楽(らく)」の関係を疑う
音楽を演奏できる人は、シンプルに ”傍を楽”にできる人だなぁ、と思う。 |
以前、組織に勤めていたときに、
「働く」とは”傍(はた)を楽(らく)にするもの”
と聞いて、「おぉー、なるほど!名言だ」と丸ごと飲み込み、
それ以来、疲れた体でもうひと頑張りするときに思い出していた。
でも、どれだけ、世のため、人のために
仕事をすることがいいことだと思っても、
つきまとっていたのは、体が重くなるような、
なんともいえない重力だった。
今考えれば、それは当たり前で、
自分が楽じゃなかったんだから、
「誰かのことを楽にする前に、まずじぶんが楽になりたい」
ということだったんだと思う。
で、楽になるって、たんにやることが少なくなるとか、
たくさん寝れるとか、仕事が簡単ってことではなく、
「今楽しいですか?」っていうこと。
さらに、楽しいって、苦しみがないことではなく、
苦しさや怖さ、先が見えない感じがあったとしても、
それも含めて、「じぶんの足で立ってるぜ」 と
思っているか。ぼくの場合はそういうこと。
だから、最近は
「夜遅くまで仕事をしてても、
体が疲れるだけで、嫌な感じがない。
体が疲れるのは体が疲れるだけってことが分かった。」
なんてことを人に言う。
でも、よく誤解されるみたいで、
「なんか大変そうですね・・・」とか、
「忙しいみたいですけど大丈夫ですか」という
言葉が返ってくる。
いや、それは瞬間的な話をしているだけで、
毎日遅いわけでもないし、割とのんびりもしてます。。
ただ、自分なりに今言ったようなことを表現するために、
そういうシーンを選んだだけなんだけど・・・
と思ったりもする。
話がそれましたが、
つまり、いくら”傍を楽にする”と肩に力いれて、
限界までがんばっていても、自分が楽しんでいなければ、
それは本当にそばにいる人を楽にしているんでしょうか。
ということ。
自分が楽になる口実として誰かのために”ハタライテ”いる人も、
多いんじゃないのかな。
もしかしたら、「人のことなんて関係ありません、
ぼくは正真正銘じぶんのためだけにハタライテます」
という人でも、ものすごくご機嫌に、 楽しんでいれば、
周りの人をラクにしている可能性もある、というお話。
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