「めんどくさい」議論をもっとした方がいい
公開日: 2015-02-06 日記
「めんどくさい」議論をできるメンバーで 集まれるのは幸せなことだ。 |
ぼくが仕事をしやすい人の一つの特徴は、
「めんどくさいからやりたくない」
と言いあえる人。
組織にいるときはもちろん、
個人で仕事をしていたって、
「めんどくさいなんて理由にならない!」とか
「そんなわがまま通用しない」
と言う人はたくさんいた。
「誰だってめんどくさい仕事はある。
だから私は我慢しているのに、なぜあなただけ!」
ということなんだろうけれど、
それで「めんどくさいからやりたくない」と
言っていけないかどうかは決まらない。
「やりたくない」のであって
「やらない」とは言ってないのだから。
めんどくさいものを出し合えば、
誰かの「めんどくさい」を嬉々としてやる人もいるだろう。
残念ながら引き取り手のいない「めんどくさい」が
出た場合は、「そもそもやる必要あるの?」
というところから始めてみてもいいかもしれない。
「やらなくてもいいようにする」なら、
やっても良くなる可能性は高い。
それでも、どうしてもやらなくてはいけないなら、
「めんどくさい」をもう少し丁寧に話しあって、
それぞれがやりたくないと思う背景を見ていく。
じぶんの「めんどくさい」が人よりも弱ければ、
それだけでやる理由として十分なときだってある。
たいがいは、
「そんな『めんどくさい』ことしてる暇あればさっさとやれ」
という人がいて、こんな話はできないのだけれど、
”めんどくさい議論”をしないから、
本音が分からなくなって、
余計な仕事が増えていくんじゃないだろうか。
これは、どちらが本当にめんどくさいことなのか、
議論をする必要があるだろう。
ぼくは関わる人と本当の意味で
一緒にいるため、仕事をするためには、
このプロセスを通るしか方法はないと思っている。
「めんどくさい」が禁句になれば、
待っているのは、
だれがやりたいのか分からない仕事の山、
だと思うから。
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