一言がつくる場と一つの選択がつくる人生
公開日: 2015-02-04 日記
人が集まる場でなにかを発言するときに、 将棋で一手を繰り出すイメージをするときもある。 |
ぱーちゃんのブログの記事、
じぶんが仕事をする時や、
人と関わるときに気をつけていることが、
見事に言葉になったのを見るようで、
グッと読み込んでしまった。
ぼくの場合、もっとも生々しく、
鮮やかに勝ち負けを感じるのは、
主催する企画の当日や、
人にゲストや講師として呼ばれたとき。
たとえば、
会場もじぶんも緊張しているのが分かる空気の中、
最初の挨拶を発しなければならないときに、
いったいどんな一言から始めていくのか。とか。
たとえば、
一人で勢いよく話をする人がいたとして、
じぶんが興味を持てなかった場合、
その人にどんな言葉を返すのか、
それとも返さないのか。
そんな判断の連続でその場が作られていく。
ちょっとでもピントがずれていれば、
もやっとしたなにかと一緒に時間は過ぎていく。
ピントを常に合わせている必要はない。
けれど、ズレているかどうか自覚はできている方がいい、
というのがぼくが場を開くときの構え。
円坐のようにプログラムや目的を決めていない場だと、
そういったこちらの態度はだだ漏れで、
どれだけ黙っていようが、気配を隠そうが、
黙ろうとしていること、気配を消そうとしていることが
そのままその場の空気になって場の一部になっていく。
日々の暮らしや日常の中での選択も、
同じようにその人に積み重なって、
その人の「人生という場」を形づくっていくのだろう。
そんなことをぱーちゃんのブログを読んで思っていた。
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