「無縁・公界・楽」の講読ゼミ 1回〜4回感想まとめ

公開日: 2015-04-06

かなり難解でハードなイメージがあるタイトルと分厚さ。
発売当初は、書店の人がタイトルだけでは何に分類されるか分からず、
”お葬式の出し方”の隣に並べられていたこともあったんだとか。
今では学術書としては異例ののベストセラーになっているそうです。
(文庫版解説より)


上記の本の講読ゼミに参加しています。

数年前に大谷さんに紹介してもらってから、
なんどか読もうと本を開いても、全然読み込む気になれず、
ずーっと手を付けられていなかった本でした。

ゼミでは毎回、じぶんの常識が崩れていきます。
そして、関係ないと思っていた1000年も前のことが、
本当に今につながっていると実感できるのが面白いです。

ただただ、4人〜8人くらいの小グループで、
よってたかって本を読む、ただそれだけで、
あれだけ難しいと思っていた本の中身が、
どんどん鮮明になっていくのが不思議です。


以下、小林がゼミのページに寄稿した感想

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第一回「無縁・公界・楽」講読ゼミ  感想
・ 数年前に大谷氏から紹介され、何度か目を通したものの、難しさだけを感じるばかりだった。ところが、この「ゼミ」という方式によって、急に著者の描いた世界に触れられるような感覚を持つことができた
・「自由」という言葉について、誰かから与えられるもの、というイメージが強かったが、著者が「無縁の原理」と呼んで説明しようとしている自由は、保証された瞬間から機能しなくなることを、参加者の働いてきた経験などを語り合う中で見つめ直すことができたことが印象深い


第二回「無縁・公界・楽」講読ゼミ  感想
・ これまで持っていた「戦国大名」についてのイメージがガラガラと崩壊していった。愛知県出身ということもあり、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、などの有名な戦国大名については、親しみを持ち、書籍やゲームなどを通じて(勝手な)豊かな世界観を想像(妄想?)していたが、今回のゼミを通して見えてきたのは今までとは全く逆の世界だった。

・特に、もともと広大な無縁の場が広がっている中に、戦国大名と呼ばれる人々が武力をもって制圧地域を作り、さながら過激なテロ組織のように「実行支配地域」を広げていった、という視点はこれまで考えようともしたことのないものだった。

・ また、「無縁」の場や人を見るときに生じる「怖さ」については、プログラムや目的を設定しない「エンカウンターグループ」や「円坐」(参考:http://goo.gl/XCYvyHやミニカウンセリング(参 考:http://goo.gl/J1T8PC)などの場を開くときに、(おそらく)周囲に発生している怖さと類似していることは貴重な発見だった。「明るさ」や「暗さ」は見通しの良さと悪さを表す。そして、人は見通しが よく説明のつきやすいものに惹かれる。それゆえ、「暗い」ものは遠ざけられたり、嫌われたりし、それが差別につながっていく。ところが、その暗さは、第一 回で論じた「自由」と大きくつながっている。「次に何が起こるのか分からない」という状況こそが、本当の意味で自由であり、それが「自由」という言葉すら 持たなかった日本で「無縁」と呼ばれていたのだろう。


第三回「無縁・公界・楽」講読ゼミ  感想
・ゼミで理解が深まるにつれ、有縁の世界と無縁の世 界の違いの説明について、血縁や関係性を排し、純粋に能力や金銭の多寡によって関係性が結ばれる、という内容に直面し、理解に苦しんだ。それは、有縁の 原理が限りなく広がっている現代社会で、そうした能力主義、拝金主義によって発生する問題が多々あるにもかかわらず、無縁の場が人間以外のものを中心としていることが矛盾しているように見えたからだった。

・しかし、上記の「矛盾のように見える現象」は、現代社会がお金を使って関係性の強化や技能の 向上などを行っていると捉えるとスッキリと解消された。無縁の場の実力主義は、例えば芸能民であれば、純粋な芸能の実力による関係性であり、そこに金銭の多寡は関係がない。 逆に、金融の世界では金銭だけによって関係性が結ばれるのであり、金銭以外のものによって影響を受けることはない。それは、単純に、芸能という実力主義の 世界を機能させるためには、金銭や血縁が入ることが有害だったからであろう。実力のない者が、お金を持っているから、誰それの親族だからということで芸能民としての活動を許したら、そこから芸能の衰退が始まる、といっても過言ではないだろう。それは、無縁の原理が色濃かった市場、交通機関、芸能民を含む職人の世界でも同様だったのだろうと推察される。


第四回「無縁・公界・楽」講読ゼミ  感想
・ゼミでは毎回、自分の中の歴史観がまざまざと変わっていく姿を目撃しているが、今回は天皇についての理解が大きく変化した。人間では説明のつかない恵みや、豊かさに対して、自分たちの存在を安定させるために、神や自然に感謝する気持ちや、具体的な献上物を納める行為が必要であり、それらを受けとめるための装置として天皇の存在が必要 になったのではないか、という大谷氏の意見に共感する。

・円坐(参考:http://goo.gl/XCYvyHやミニカウンセリング(参 考:http://goo.gl/J1T8PC)の現場では、そこにいる誰もが想定しえない出来事が発生する。それは必ずしも心地よいものだけではなく、 台風や雷のような荒々しく現れるものもあるが、それを誰かの意思によって起こっていると説明することはできない。現代社会ではそうした場に起こる人には説明のつかない現象なども、繰り返し観察・確認することができるので、法則やルールとしての理解も可能だが、録音機器や説明する言語を持たない社会では 「神」という存在が重要だという推測は成り立つように思われる。
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