ぼくの東京物語 その15 東京 東西円坐 午後

公開日: 2015-06-23 ぼくの東京物語

東京福島にいったときのことを小説風に綴っています。
円坐のような質感を文字で表す実験でもあります。

前回までの記事
その1 深夜バス
その2 聡志とじゅんちゃん
その3 東京
その4 わーさんとかよちゃん
その5 テレビを「持たない」人のダイアログサークル
その6 夜の帰り道
その7 聡志とじゅんちゃんの家の朝
その8 夫婦サミット
その9 影舞 
その10 メキシコ料理店 
その11 たぬき村 
その12 円坐と橋本久仁彦さん 
その13 東京 東西円坐
その14 東京 東西円坐 朝
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お昼を食べて午後、あいかわらず部屋の窓の外には真っ青な空が広がっていた。

そこからどんな話をしたのか、言葉や景色や記憶としては鮮明に残っている。けれど、それ以上のことを、今ぼくが語ることはできる気がしなくなって、何日か筆を置いて立ち止まっていた。

その時見えたこと、人と話したこと、その中で見えた景色、途中震えるような怖さを感じながら自分の言葉をその場に置いてみたり、ぼくの人生にとって大きな意味を持つ時間が流れていたのは間違いが無いのだけれど、その時間を言葉で切り出してしまった途端、あの時間と空間の中で生き生きとしていた感覚が、全く違うものになってしまいそうで、そしてその全く違うものがそこで起こったことになっていくのが嫌で、書くことができずにいる。

タイトルをつけた「円坐的」な催しであれば、なんとかそのタイトルに沿って書くことができた。けれど、なんのタイトルも無い、ただ集まった人と円になって座るだけの円坐では、集まった人そのもの、そしてその空間と時間全てに意味があって、何かに沿うということができない。

その場を開いた聡志とぼくがしたことと言えば、最初に時間を宣言して最後に終わりを告げる、ただそれだけで、大層なことをしてやろうなどとは思ってもいなかったのだけれど、やっぱり円坐が大層なことなのだと思い知らされた。今。

円坐が終わって、名古屋から来た参加者の人とぼくたち4人で会場のキッチンを借りて夕食を作る。夕食を食べながら「今度名古屋でやりましょう」という声をかけてもらって、日程や会場や呼びかけたら来てくれそうな人の話をする。

終電近くまで飲み食いをして会場の部屋を出て、階段を降りていくと、来た時に出迎えてくれた年寄り猫はもういなかった。

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