言葉の研究 その2 話し言葉と書き言葉がアクセスする情報の違い

公開日: 2015-10-20 言葉の研究

書き言葉と話し言葉の違いを軸にした言葉についての考察シリーズ

前回はこちら
その1 カタイ書き言葉とやわらかい話し言葉
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そもそも話し言葉の表現は、言葉の強弱やリズム、一言一言の間、など、書き言葉と比べて格段に多くの情報が含まれていて、ぼくたちが普段話し合うときには、そういった複雑な情報を瞬間的に受け取って、また多くの意味を持った複雑な情報を投げ返す、というスーパーコンピューター顔負けの情報のやり取りをしていると言える。

だからもし、話し言葉を文字に起こしたとするなら、文字お越しされた時点で読み取り可能な言葉以外の全ての情報は落っこちる。

しかし、できるだけ精密に、たとえば小さな言い淀みや沈黙も含めて言葉を文字に起こした場合、微妙な言い回しや、語尾の変化、一つの言葉と次の言葉のつなげかたなど、その人がそのような表現をしたという記録が、細部にではあるけれどまざまざと、紙の上に記されることになる。

「学生がインタビューの仕事を手伝ってくれたとき、逐語録をそのままインタビューの話し手に見せてしまって、『私はこんな話し方をしていない』と怒られたことがあって・・・」という話を聞いたことがある。

話を聞いたときは「確かにビックリするのは分かるけど何も怒らなくてもいいのに」と思ったけれど、人によっては怒ってしまうほど自分の言葉の節々まで記録された文字は見たくないものなのかもしれない。


文字にすることでたくさんの複雑な情報が落ちると言ったけれど、ここまで来て、「書かれた言葉」も含む書き言葉には、ぼくたちが落とした情報と同等かそれ以上の何かにアクセス可能な通路が開けていることに気づく。

同じ内容でも話し言葉が文字になれば、(そもそも、細かい音を含めて話し言葉をそのまま文字にすること自体が不可能なのだけれど)言葉の持っている情報自体は落ちるのであって、別の情報が追加されるわけでもない。ただ情報が劣化する。しかし、落ちたのと引き換えのように、文字化されることで別の通路が現れる。

そしてその通路の先に見えるのは、表現者の表出する言葉の流れであり、それはつまり、表現者自身も気づいていない「自分だけにしか見えない世界の断片のつながり」で、まさにそのつながりのなかに、表現者の主体が現れている。

続く
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