言葉の研究 その3 話し言葉を文字にしたときに見える景色
公開日: 2015-10-21 言葉の研究
前回までの記事はこちら
その1 カタイ書き言葉とやわらかい話し言葉
その2 話し言葉と書き言葉がアクセスする情報の違い
=====
違いを明確にするため引き続き話し言葉を文字にした場合を例に続けていくけれど、話し言葉を文字にした場合、話し手が伝えようとしている対象(吉本隆明の言うところの指示表出性)についても、話し手がどこからそれを伝えようとしているのか(自己表出性)についても、同程度に情報は劣化する。
ここで劣化と言っているのは、言葉と一緒に表現される、音の強弱やリズムや間が、もじになったときには消えてしまうという意味でとらえてもらって良い。
しかし一定の精度で言葉を固定することができたとき、つまり、言葉を編集せずにできるだけその音声通りに文字にしたとき、ぼくたちは話しては消えていく言葉の世界では捉えることのできなかった、まだ言葉になる以前の「言葉のさわり」のような表現が、いたるところで現れているのに気づくことができる。
「えぇーと、それがあの、こっ、この本の大事なことで」
と人が言う言葉が文字になった場合、
「えぇーと」は、
言葉の言い淀みであり、次の言葉を選ぶための間合いであり、これから話していく方向についての迷いでもある。
「それがあの」は、
「それ」で直前に話していた何かを示し、「あの」は特定の何かを指し示す言葉であり、でもそれは、まだ話し手の中で像が結ばない何かなのか、像は結ばれているが言語化できていない何かなのかは不明である。そして、「それがあの」と続くことで、直前に話していた何かが、話し手の浮かべる特定の何かであることを示している。
「こっ」は、
その後の、「この」につながる言葉になる以前の言葉で、「あの」に引き続き、表現したい勢いと言語化のスピードのズレ、と言っても言い過ぎではないだろう
「この本の大事なことで」は、
ここまであった、言い淀みや、言葉のさわりなどが全て消えて、一息に一つの文を口にしている。自己表出性の高い言葉から、一気に指示表出性の高い文章へ移行したと言ってもよい。しかし、直前までの自己表出性の高い言葉とのつながりの中から現れることによって、手探りで進めた先に手応えのある感触をつかんだようなすっきりとした姿勢さえ感じられる。
通常、どれだけ集中して人の話を聞いたとしても、たったこれだけの言葉についてすら、一言一言を追っていくことは難しい。よほど気をつけて話を聞く場でも、話し手が口にした言葉の指し示すものや、どこから指し示そうとしたのかという情報はおおよその理解のもとに流れていく。
むしろ日常的な会話では、「えぇーと、」や、「こっ」という言葉は、意味の無い言葉、もしくは雑音として認識され、ほぼとりあげられること自体ない。
つづく
その1 カタイ書き言葉とやわらかい話し言葉
その2 話し言葉と書き言葉がアクセスする情報の違い
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違いを明確にするため引き続き話し言葉を文字にした場合を例に続けていくけれど、話し言葉を文字にした場合、話し手が伝えようとしている対象(吉本隆明の言うところの指示表出性)についても、話し手がどこからそれを伝えようとしているのか(自己表出性)についても、同程度に情報は劣化する。
ここで劣化と言っているのは、言葉と一緒に表現される、音の強弱やリズムや間が、もじになったときには消えてしまうという意味でとらえてもらって良い。
しかし一定の精度で言葉を固定することができたとき、つまり、言葉を編集せずにできるだけその音声通りに文字にしたとき、ぼくたちは話しては消えていく言葉の世界では捉えることのできなかった、まだ言葉になる以前の「言葉のさわり」のような表現が、いたるところで現れているのに気づくことができる。
「えぇーと、それがあの、こっ、この本の大事なことで」
と人が言う言葉が文字になった場合、
「えぇーと」は、
言葉の言い淀みであり、次の言葉を選ぶための間合いであり、これから話していく方向についての迷いでもある。
「それがあの」は、
「それ」で直前に話していた何かを示し、「あの」は特定の何かを指し示す言葉であり、でもそれは、まだ話し手の中で像が結ばない何かなのか、像は結ばれているが言語化できていない何かなのかは不明である。そして、「それがあの」と続くことで、直前に話していた何かが、話し手の浮かべる特定の何かであることを示している。
「こっ」は、
その後の、「この」につながる言葉になる以前の言葉で、「あの」に引き続き、表現したい勢いと言語化のスピードのズレ、と言っても言い過ぎではないだろう
「この本の大事なことで」は、
ここまであった、言い淀みや、言葉のさわりなどが全て消えて、一息に一つの文を口にしている。自己表出性の高い言葉から、一気に指示表出性の高い文章へ移行したと言ってもよい。しかし、直前までの自己表出性の高い言葉とのつながりの中から現れることによって、手探りで進めた先に手応えのある感触をつかんだようなすっきりとした姿勢さえ感じられる。
通常、どれだけ集中して人の話を聞いたとしても、たったこれだけの言葉についてすら、一言一言を追っていくことは難しい。よほど気をつけて話を聞く場でも、話し手が口にした言葉の指し示すものや、どこから指し示そうとしたのかという情報はおおよその理解のもとに流れていく。
むしろ日常的な会話では、「えぇーと、」や、「こっ」という言葉は、意味の無い言葉、もしくは雑音として認識され、ほぼとりあげられること自体ない。
つづく
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