雨の中の一年
昨日は中之島のおしゃれな建物に舞台を見に行った。
パートナーのなっちゃんと二人で。
橋本久仁彦さんが座長をしている縁坐舞台の公演だった。
縁坐舞台は、一般的な「舞台」というイメージからはほど遠い。
脚本も、照明などの舞台装置も、観客席と舞台の高低差もなく、
集まった人が語ったことを即興的に、舞台に映していく。
知らない人がその場に近いイメージを結ぶとすれば、
即興で行われる能舞台というと幾分かは近づくかもしれない。
しかし、橋本さんが口火を切って生まれる場の重力や、
コンクリートのうちっぱなしの床にろうそくの炎がゆれて動く光と影、
後ろに移るビルやマンションの明かり、かすかに見える川面、
そういったものを、そのまま伝えることはできそうにもなく、
また、その質感を言葉で言い表すことに意味はない。
昨日は会場に向かう途中で雨が降った。
ぼくらは傘をさしながら、ビルの合間を自転車で進んだ。
「こんなに大都会の中を自転車で進んでるね」
冗談まじりにぼくはなっちゃんに言った。
去年の同じくらいの時期に、中之島の縁坐舞台を二人で
見に行ったことを思いだしていた。
「去年も雨が降ってたよね。あんときはすごい雨だった」
そう口にしながら、顔も上げることができないような、
「バケツをひっくり返したような雨」とはこれか、というような、
そんな雨の中を、去年はズブ濡れになって二人で歩いていた。
今日は、雨はパラパラと降っているけれど、
遠くのビルまでよく見えて、日中晴れていたからか、
夜になっても温かかった。
まったく話すつもりはなかったけれど、
舞台を囲んで話す時間に、なぜか口をついて
それらの風景が飛び出していた。
「舞台は観ている人の現実をありありと映す」と、
橋本さんは言っていたけれど、
そこには過去も現在も混ざった自分の姿があって、
一夜明けた今も、不思議とその姿は側にいる。
帰り道「去年は、あんだけ雨降ってたけど、
おれら足は止めなかったもんね。よくやったよね。」
となっちゃんに話しかける。
笑いながら「そうだね。よくやったね。」と
言葉が返ってくる。
雨の中に、一年が詰まっている。
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