小林健司の円坐 まるネコ堂一泊二日  を開きます

公開日: 2016-02-12 円坐・エンカウンターグループ 企画の案内

昨日の円坐は無事に開かれて終わりました。
続けて大谷さんと3月の末に宿泊の円坐をやります。



円坐であらわれるものは、必ずしも言葉を伴っていない。

ある人はおもむろにノートを取り出して、
お気に入りの万年筆でスラスラと文字を綴る。

ある人は寒そうに置いてあった毛布にくるまり、
小動物のようにじっとうずくまっている。

ある人は虚空をみつめて口を開き、
何かをいいかけたかと思うと押し黙る。

守人として座るとき、
こうした言葉にならない「言語」の数々を
ぼくは受け取っている。

ときにはその場にいない人も
その空間の表現を形づくる。

窓のそばを鳴きながら移動する鳥の声。
ネコが扉を開けてほしそうに鳴く声。
ふいに訪れた豆腐屋さんの「パープー」という音。
回していた扇風機を止めにいく足音。
扇風機が止まったあとの静けさ。
ストーブに火をつける音。
ストーブの上のやかんがコトコト震える音。
日が傾いて少しずつ変わっていく景色。

ずーっと沈黙しているときでさえ、

たくさんの、そして一つの事(コト)と場(バ)
の中にぼくたちはいっしょにいる。

眼と耳をこらせば、そんなことは四六時中
起こり続けているんだけれど、円坐に座ると
そのことがよく見えてくる。
そのことのすごさがよくわかる。

星は昼間も輝いているけれど、
夜に見上げた方がよく見える。

何もない中で、
人と人がいることは見上げた夜空のようだ。

小林健司



以下大谷さんの書いてくれた案内文です。
=====

小林健司の円坐 まるネコ堂一泊二日 


小林健司は最近断言した。

対話において話すことと聞くことは分離できない。

彼がついに断言するほどまでに、はっきりと掴んだものを、彼との対話(そう、対話だ)の断片的記憶から僕なりに追ってみる。

対話はその対話そのものにしかない。話す、聞くことだけを取り出すことは不可能で、「その対話」の中にある「話す」「聞く」は、二者間相互に「そこで」あ らわれた現象の一側面としてしか見ることができない。対話が異なる二者間で行われるという見かけ上、話し手と聞き手は一見分離しているようには見える。

しかし実態は、聞き手は「話させ手」「話させず手」「聞かされ手」「聞かされず手」「話され手」「話されず手」であり、同時に話し手は「聞かれ手」「聞かれず手」「話させられ手」「話させられず手」「聞かせ手」「聞かせず手」となる。

こうして文字にすると強迫神経症的な順列組み合わせの羅列として現れる様相が、対話では瞬時にそして常に相互に起こり続けている。僅かな視線の動き、息遣 い、体重移動・・・、そこで起こっていることすべては対話に吸収され、対話そのものとして起こる。そこでは人間の存在自体が対話そのものとして起こるの だ。

冒頭に断言と書いた。言を断つことによって始まった彼の「話す聞く」への新たな旅路を予感する。長い長い生身の旅になるだろう。

大谷 隆

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2016年3月5日(土)10時〜6日(日)17時(一泊二日)
まるネコ堂にて
      京都府宇治市五ケ庄広岡谷2-167
      注意:猫がいます。円坐を行なう部屋には入れませんが普段は出入り
      しています。アレルギーの方はご注意下さい
      JR奈良線・京阪宇治線「黄檗(おうばく)駅」から
      徒歩十五分ほど。坂道を登ります。迷いやすいです。
      詳しいアクセスは以下よりどうぞ。
      http://marunekodoblog.blogspot.jp/p/blog-page_14.html
・守 人 :小林 健司
・主 催 :大谷 隆
・参加費 :14,000円
・宿 泊 :まるネコ堂にて宿泊可能です。(雑魚寝になります)
      二日間通いでも参加可能です。
・定 員 :6人
・申 込 :marunekodo@gmail.com (大谷)
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