言葉の研究 その4 逐語記録と文章の違い

公開日: 2016-02-10 言葉の研究

以前連載中止にした下書きがあったのですが、原稿ができてみれば結局全く別のものになっている気がして、続きを掲載します。




前回までの記事はこちら
その1 カタイ書き言葉とやわらかい話し言葉 
その2 話し言葉と書き言葉がアクセスする情報の違い  
その3 話し言葉を文字にしたときに見える景色
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ここまで、話し言葉と書き言葉の違いを見るために、話し言葉を文字にしたものをとりあげてきたが、厳密に言えば、それと書き言葉は別のものである。

今は、話し言葉から、話し言葉を文字化したもの(逐語録)、書き言葉(文章)という段階的な変化の過程をたどることで、二つの間にある違いを、水が少しずつ凍っていくのを実況中継するように表現をする試みの途中で、いよいよ逐語録から文章への変化をあつかう段階に来ている。

話し言葉が文字に起こされるとき、できるだけ話しているそのままを記録した場合には、前述したような「えぇー」とか「まぁ」、「こ、これが」というような、心的に捉えた像を言い表す言葉を探るための間や言い淀み、言語になる以前の単純な音に近い言葉が記される。そして、それらは話し手の心的な動きをそのまま示している。

書き言葉、つまり書き手がいて何らかの文章を書こうとするときには、これらの言い淀みや、言語化されきっていない音のようなものはほとんど記されることはない。仮に草稿の段階では無意識のうちに記されることはあっても、自分以外の誰かに見せる段階では意識的に削除されるか、もしくは意識的に残された言葉だけが残ることになる。

つまり、言い淀みや言語化以前の音に近い言葉は文章化される前に言葉を編み上げる役割を終えていて、直接的に文章で表現されることはない。結果的に、文章の中で使われる言葉は話し言葉に比べて表現者が何かを指し示す言葉(指示表出性の高い言葉)が多く並ぶことになる。

これが、書き言葉の「固さ」の正体で、人の話を聞く場合には音やリズムや声の調子を含めた言葉以外の要素も含めて言葉になる以前の景色(もちろん完全にではないが)も含めて受け取ることになる。

それに対して、文章を読む場合には話し言葉でふんだんに現れるそれらの言葉を抜きに理解をすることが求められる。

では、読み手はただ示されているものをその通りに読む以外に手はないのか、というとそうではない。文章に置ける表現者の存在を示す言葉(自己表出性の高い言葉)は、一つ一つの言葉のつながりの中にある。

(終わり)
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