ひと吠え
公開日: 2016-12-13 日記
先日、ある友人がメールで嬉しい言葉を送ってくれて、
ぼくらが家を作るということ自体が、
暮らすことや営むことを自分の手に取り戻す「闘い」に
見えていたと言ってくれた。
そうそう、そんなことを言われると言ってみたくなる。
あらゆるものを自分と切り離して、面倒なことを人に任せて、
子育てや家族のことすら引き受けることをやめて、
生きることすら誰かに任せる。
なんてことになりかねないような時代への、
これは挑戦だし、闘いだよって。
20代の頃は、
そういう挑戦を「社会を変える」とか
「世の中を良くする」ということとごっちゃにして捉えていたけど、
今ははっきり違うと言える。
本当に社会や世の中を変える可能性があるとすれば、
一人ひとりが自分の信じたものを信じ抜いてぶつかり合う、
そういうものの結果の中にある。
自分を脇において外から口だけを出したり、
自分の生活を先に確保しておいて、
安全な範囲の中で作られた計画や取り組み・活動をしているやつになんか、
どれだけ時間があったって何も変えることなんかできはしない。
そこで起こる変化はせいぜい、
関わっている人が今ある経済の中で潤う程度のものだ。
しかもその影では、
ついていけずに生きる力を失う人がいるという代償付きで。
本当に人生に行き詰まっていながら、
生死のはざまにいながら、それでも生きようとしている人は
何のリスクもとらない人の言葉に耳を傾けたりはしない。
安全な場所から差し伸べられる手を握ったりはしない。
そういうものがじぶんが殺すことを知っているからだ。
ぼくらが家を作るということ自体が、
暮らすことや営むことを自分の手に取り戻す「闘い」に
見えていたと言ってくれた。
そうそう、そんなことを言われると言ってみたくなる。
あらゆるものを自分と切り離して、面倒なことを人に任せて、
子育てや家族のことすら引き受けることをやめて、
生きることすら誰かに任せる。
なんてことになりかねないような時代への、
これは挑戦だし、闘いだよって。
20代の頃は、
そういう挑戦を「社会を変える」とか
「世の中を良くする」ということとごっちゃにして捉えていたけど、
今ははっきり違うと言える。
本当に社会や世の中を変える可能性があるとすれば、
一人ひとりが自分の信じたものを信じ抜いてぶつかり合う、
そういうものの結果の中にある。
自分を脇において外から口だけを出したり、
自分の生活を先に確保しておいて、
安全な範囲の中で作られた計画や取り組み・活動をしているやつになんか、
どれだけ時間があったって何も変えることなんかできはしない。
そこで起こる変化はせいぜい、
関わっている人が今ある経済の中で潤う程度のものだ。
しかもその影では、
ついていけずに生きる力を失う人がいるという代償付きで。
本当に人生に行き詰まっていながら、
生死のはざまにいながら、それでも生きようとしている人は
何のリスクもとらない人の言葉に耳を傾けたりはしない。
安全な場所から差し伸べられる手を握ったりはしない。
そういうものがじぶんが殺すことを知っているからだ。
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