「ぼくたちの一年会議」のご案内

公開日: 2017-01-12 企画の案内


小林健司と大谷隆が続けてきた「会議」はちょっと変わっています。

一年ほど前、二人で「ナニカ」をしようという漠然としたスタート地点から、ほとんど毎週、ただカフェでお茶を飲んだり、河原でお酒を飲んだり、ときには全く何も話さない「会議」をしてきました。他の人からはただダラダラしている二人組にしか見えず、とても会議をしているとは思われなかったでしょう。自分たち自身でさえも何もしていない気がして幾度も不安にかられました。

しかし、振り返ってみると驚くほど豊かな事実がぼくたちの足跡のまわりに転がっています。雑誌「言語」発行、東京での「読む・書く・残す探求ゼミ」、「日本国憲法をバカ丁寧に読む会」など、たくさんの自分の人生に欠かせない出来事が起こりました。

今もその歩みの途上にいるわけですが、こうして二人で会って話し合うとなぜかナニカが形になっていく、という現象を繰り返し目の当たりにする中で「これはどうやら間違いないぞ」と思えるようになったことがあります。

それは、本当にじぶんに一番近いことを決めたり話し合ったりするときには、目的とか議題とか話の整理などといった、いわゆる「良い会議」の手法は邪魔になる、ということです。

理由は簡単で、自分から離れているものなら、いくらでも整理したり分解したり、合理的な判断の元で意思決定したりすることはできますが、自分に近いこと、とりわけ自分自身でもはっきりと分からないくらい自分の中心をなしていることについて、安易に整理や分解をしてしまうと、ほんのちょっとの事実を全てだと勘違いしたり、表面だけしか見ていないような結論に達したり、自分自身とかけ離れたことを話し合うことになるからです。

何かを決めるということは、目の前の世界をよくよく見た結果「そうせずにはいられない」状態になることです。あとになって「すべてこのためだったのか」と思うようなことです。自分自身そのものにとって、予め目的や議題はありません。

本当に自分自身にとってこうとしか見えないようなこと、そうとしか感じられないこと、どうやってもこうやってしか考えられないこと、そういうものの中に豊かさが詰まっている。しかもそれは自分だけじゃなくまわりにいる人まで豊かにする。なぜなら、自分にとってあたり前の世界が、他人にとってあたり前の世界と触れた時に初めてあたり前じゃないことが分かって、触れ合った分だけ世界が広がるから。

ぼくたちは、こんな「会議」を延々続けて、多くのことを実現してきました。その土台を元に、もう少し一緒に参加する人が集まったら面白いんじゃないかと思い、一年という期間の会議をここに宣言いたします。

場所:まるネコ堂 もしくは 参加メンバーが合意したどこか。
   (第一回目はまるネコ堂で開催)

期間:2017年4月1日のキックオフ会議が第一回。
   ここから一年間、隔週で開催して27回。
   2018年3月31日のクロージング会議が第27回の予定。
   いずれの日程も13時ごろから17時ごろまで。


定員:各回3名程度。
   キックオフ会議、クロージング会議のみ8名程度。

参加費:一回3000円のチケット制
    11枚綴り30,000円

主催:大谷隆、小林健司


申し込み:大谷(marunekodo@gmail.com)までメールで。
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