「読む・書く・残す」探求ゼミ 1DAY in まるネコ堂 開催しました
公開日: 2016-12-09 企画の案内
溺れかけてもうだめか、というときに、
小林健司の案内文も載せておきます。
「読む書く残す探求ゼミ」、通称「書く講座」は、
2015年の3月にプレ講座をしたのが始まりで
月に1回のペースで1年ほど開いていた。
そんな中で「東京でもやって欲しい」というリクエストをいただき
2016年の6月に初めて東京での開催をした。
文章はいつも持込希望を募っていて、
不思議と誰も希望をしなかった回はない。
これまで参加してくれた人は述べ何人、とか言いたいけど、
残念ながらそういうのをカウントする習慣がなくて言えない、、。
けど不思議と毎回の参加者は多かった。
今年の7月から家づくりを初めて、少しお休みしていたけど、
みおちゃんから声をかけてもらって、もうすぐ久しぶりに開催しようとしている。
こうして書いていて気づいたけれど、この講座、結構人気がある。笑
こういうとき、今までは恥ずかしさとか自信のなさみたいなものもあったのか、
「どうしてこんなに人が来てくれるのか分からない」なんて言ってきたけれど、
今は少し心境が違っていて、
自分たちがそうとしかできないような催しを応援してくれる人がいること、
また来たいと言って本当に何度も来てくれる人がいることを、
今は素直に喜んで、ありがたく受け取りたいと思う。
そういう結果に感謝して、今回も全力で場を開かせていただきます。
ここまでくるともう一言つけ足したくなっていて
それは、この講座を一回でも受ければ、
あなたにとっての「文字を読む」という体験そのものが変容する、
ということ。
学校や社会で教えられるのは、ほとんど文字を記号や情報として見るような見方で、
ぼくたちは無自覚に文字をそういう無機質なものとして扱いがちだけど、
純粋に「ただ読む」ということさえすれば、
そうではない、血の通った文字の世界が確かにあること、
それはどんな人が書いた、どんな文章の中にだってあるのだ、
ということを目の当たりにできます。
冬の京都は宇治でお待ちしております。
小林健司
力強い腕にひっぱられて水面に浮上する。
急な水圧の変化とか、水をがぶがぶ飲んだ影響で、
息をするのもやっと、というか指一本動かすのもやっとで、
けれど、たしかに以前と同じように空気が吸える場所にいる。
この講座の中で感じたのは「書きたい」という強い欲求だった。
大谷さんが講座の最初に話す言葉を聞いて、
ぼくが水面下に潜っている間に、
全く別の進化を遂げている力強さを感じて、
その場で話を中断して家に帰って書きたくなる。
持ち込んでくれた文章を読んでいく中で、
あるいは終わってから誰かと話している中で、
いや、家を作っている間だって、
ぼくはずっと書きたいと思っていた。
本当にぼくの中にある形にならないなにかを
本当にぼくの中にある形にならないなにかを
言葉にするには、内臓をフルに使って
じぶんの中心に向かって一歩ずつ進む体力がいる。
筋力と言ってもいい。
家を作るためには、文字通り、腕や足の筋力や、
夏の暑さに負けない体力がいる。
両者は全く違うことで、
家造り中になんども書くことにはチャレンジしていて、
実際に幾つかの文章も書いたのだけど、
外側の筋肉も使いながら進める距離はやはりたかが知れていた。
そして今、作った家の中で言葉を書いている。
下手くそで、こんなの誰が読むんだよ、と思いながら、
下手くそで、こんなの誰が読むんだよ、と思いながら、
書けることが嬉しくて、書いている。
ずっと、ぼくは書く人じゃないと思っていたけど、
どうやら書くことがよっぽどぼくの中心にあるようで、
ずっと、ぼくは書く人じゃないと思っていたけど、
どうやら書くことがよっぽどぼくの中心にあるようで、
今、いま、こうして、こうやって、
小林健司の案内文も載せておきます。
「読む書く残す探求ゼミ」、通称「書く講座」は、
2015年の3月にプレ講座をしたのが始まりで
月に1回のペースで1年ほど開いていた。
そんな中で「東京でもやって欲しい」というリクエストをいただき
2016年の6月に初めて東京での開催をした。
文章はいつも持込希望を募っていて、
不思議と誰も希望をしなかった回はない。
これまで参加してくれた人は述べ何人、とか言いたいけど、
残念ながらそういうのをカウントする習慣がなくて言えない、、。
けど不思議と毎回の参加者は多かった。
今年の7月から家づくりを初めて、少しお休みしていたけど、
みおちゃんから声をかけてもらって、もうすぐ久しぶりに開催しようとしている。
こうして書いていて気づいたけれど、この講座、結構人気がある。笑
こういうとき、今までは恥ずかしさとか自信のなさみたいなものもあったのか、
「どうしてこんなに人が来てくれるのか分からない」なんて言ってきたけれど、
今は少し心境が違っていて、
自分たちがそうとしかできないような催しを応援してくれる人がいること、
また来たいと言って本当に何度も来てくれる人がいることを、
今は素直に喜んで、ありがたく受け取りたいと思う。
そういう結果に感謝して、今回も全力で場を開かせていただきます。
ここまでくるともう一言つけ足したくなっていて
それは、この講座を一回でも受ければ、
あなたにとっての「文字を読む」という体験そのものが変容する、
ということ。
学校や社会で教えられるのは、ほとんど文字を記号や情報として見るような見方で、
ぼくたちは無自覚に文字をそういう無機質なものとして扱いがちだけど、
純粋に「ただ読む」ということさえすれば、
そうではない、血の通った文字の世界が確かにあること、
それはどんな人が書いた、どんな文章の中にだってあるのだ、
ということを目の当たりにできます。
冬の京都は宇治でお待ちしております。
小林健司
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