新築祝いの帆布カーテンによせて キャラペイスの魅力について

公開日: 2016-12-08

みおちゃんが新築祝いに作ってくれた特注の帆布カーテンを取り付けた。


取り付け完了。下までおろしたところ。
風も遮れるからこれからの季節は重宝する。

半分上げ。のれんみたい。

上まで巻き上げたところ。普段はこれ。



ぴったりなサイズも、重さも、巻いて上に留めておいたときのカッコよさも、
あぁ流石モノを作っている人なんだなと思わせられて、
見るたびに「これいいねー、カッコイイねー」って思っている。

って、じぶんの家なんだけど。

みおちゃんは carapace(キャラペイス)という、
皮と帆布を使ったバックやスリッパ・ベルトを作っていて、
ぼくの使っているリュックはまだ試作品のときにつくってもらったもので、
これも使うたびに、「いいねーこれ、かっこいいねー」と思って、
背負って外に出るのが楽しくなる。



左上の後ろ姿の人がみおちゃん。たぶん。

今気づいたけれど、そういえばぼくは、
小さい頃から服とかモノを持つことで得られるカッコよさのようなものを
「にせもの」とか「かざりもの」と思っているところがあって、
ドラえもんにでてくるスネ夫が持っているラジコンを見て
周りのみんなが羨ましがるような、
「かっこいい」とか「かわいい」というのは、
そういう程度のものだと思っていた。

何かをカッコイイと思うことは、
じぶんとは関係なかったり、すごく遠いところにある「何か」を
欲しいと思わせられたり、憧れさせられるような、
ちょっとした強制感を含んでいた。

しかも、欲しいと思って手に入ったり、憧れて近づいたら、
まわりにいる人はいつの間にかそれに飽きてしまう。
スネ夫のラジコンは中学生になるころには見向きもされず、
捨てられるか、家のどこかで眠ることになるように。


でもぼくは、キャラペイスで売っているものや
それを身に着けているじぶんや他人を見て、
なんのくったくもなく「カッコいい」と言っている。

これはどういうことなのか、リュックを見て考える。

浮かんでくるのは、
みおちゃんと、パートナー大谷さんの二人があれやこれや悩みながら、
自分たちが使いたいものにこだわりながら作ろうとしている姿。

ただ純粋に、みおちゃんが、あるいは大谷さんが使いたいもの、
欲しいものを、生地の材料や糸の色、ポケットの位置やサイズ、
金具がなにがいいとか、ここはなくてもいいんじゃないかとか、
無限にある選択肢の中から一つを決め、また一つを決め、
ということを膨大に繰り返しながら孤独に進んでいく姿。

そこにぼくの姿はない。
けれど、だからいい。

ぼくやだれかを振り向かせようとして作っているんじゃないから、
ぼくはただ単純に、「かっこいい」と思うことができる。

マーケティングや商品開発のプロセスでは、
自分以外の誰かが、何を欲しがっているのかを
ちまなこになって把握して、それを形にしていく。

二人がやっているのは、その真逆。
自分が何を欲しがっているのか、それはどんな形をしているのか、
丁寧に、緻密に把握していく。

さっきぼくがリュックを見て浮かんだものはほかにもあって、
その一つは「まるでぼくだけのために作られたリュックのようだ」
という言葉。

実際には同じような形をしたリュックは他の人にも
売られていることは知っているけど、
そういうことはほとんどひっかからなくて、
ただ、リュックとぼくだけがある。
そういう感じがするから、
手にとったり人に見せたりしたくなるのだと思う。


これってたぶん、
作っているみおちゃんとリュックの関係そのもので、
丁寧に作られたものを大切にしたくなるのは、
糸の縫目とか、布の切り方とか、
細かくて全て把握しきれないような作り手の姿が、
鏡のように物を通してぼくに映っているからかもしれない。


追記:
リュックのことを書いてますが、
只今リュックは販売終了中とのことです。
念のためご案内。






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