「さとしとあすかのなんかピアノとかやる」をやります
公開日: 2017-03-27 企画の案内
鹿児島に行ってる間にスカイプ会議があって、
ぼくはそれには出れなかったんだけど、
長崎に寄って、滋賀にもどるころには
イベントページができてた。
すげーよ!
ぼくにとっての「豊かさ」って、
こういう感じのことだよなって思った。
それぞれがそれぞれの立ち位置で、
自分のことをやったら、
結果的に生まれてくる場。
関わる人数が多いから、日程調整すら大変で、
どうにもまとまらず「やっぱりなしで」
ということになりかけたのが一月前。
そんな時期があったなんて思えないくらい、
あっというまに、けれど確かに、
形を整えてこの世に生まれてきた企画。
奏でられた音と、奏でる人は、
切り分けられずにつながっている。
音楽。その中でもピアノ、を
自分の表現の一つに選んだ人の奏でる音には、
それだけで聞き入ってしまう何かがある。
楽譜を見て弾く明日香と、
即興で弾くさとし。
一見対極に位置している二人の間には、
どんな違いやつながりがあるのだろう。
楽しみです。
《さとしの紹介》
ピアノのワークショップでのさとしの言葉。「えーっと、ピアノは、鍵盤を押したかったら押していいですし、押したくなかったら押さなくていいです。押したら、音が出ます。押さなかったら出ません。」
なるほどーっ、って、あたり前のことしか言ってないじゃん!
でも、この当たり前のこと、がめっちゃ重要で、ドの鍵盤を押したらドの音がなる。レを押したらレの音が。そう思うと、ピアノを弾ける弾けないってよりは、ぼくはピアノそのものに馴染みがなかったんだな、ということに気づいたのがさとしから学んだこと。
それからピアノくんとはちょっとした縁があって、以前よりはずっと仲良くなったから、今はピアノを見ると弾きたいと思うようになった。
そこから見ると、僕から見たさとしは、「即興」としてお客さんをうならせる、というよりは、「弾いてる音を聞きながら次の音を奏でる演奏者」といった方が近くて、聡志自身が、次にどんな音が鳴るのか、楽しみにして弾いている演奏者。
あれ?ここまでくると、明日香も似ている気がするけれど、それは明日香の紹介の方で。
《あすかの紹介》
明日香とはむかし、聞くこととピアノの演奏の共通点や違いについて、長い長いメールを往復させたことがある。今、ぼくが楽譜をみて弾くピアノについて思う最先端は、朗読をすることとの重なり。
ある本に書かれている言葉、とくに詩などの音声として発されることを待っているような文章は、書かれているのは一つ一つの文字でも、音の強さや弱さ、声のトーンや、そのときの身体のモード(大きく広がる感じ、とか小さく緊張している感じとか)まで、文章に込められた音がある。
だとすると、あるクラッシックを演奏するのは、遠い国で遠い昔にある人が鳴らした音を、今、ここに生きる演奏者によって、その都度、まったく新しい出来事としてこの世界に響かせることなんじゃないだろうか。
朗読をする時、ぼくには、その文字に込められた音が間近に鳴り響いていて、すこしでもそこから反れたら、外れたことがすっかりわかる。だからなんどもなんども、その文字と、その文章と馴染む時間をとる必要があって、でもさらにそうして馴染んだことと本番の舞台で音読することはまったく違う体験で、それは本当に一回きりしかない。
予め決められた音を、決められた通りに響かせる中での、瞬間性。
楽譜を見てピアノを弾くということについて、あまりに知らないので、僕の興味を中心に書いてしまったけど、これ、ピアノを弾く世界と近い気がするんだよな。どうなのかな。当日、話してみたいよ。
なんてことを思って勝手にワクワクしています。笑
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