携帯番号が変わります +近況の報告
公開日: 2017-04-20
数年前にもらったポストカード。今も気に入っていてトイレに飾ってある。 |
何年か使っていたウィルコムの携帯を解約して、スマホのIP電話にします。
番号:050-5319-4387
家のこと。
冬の間、湿気が天井に溜まっていたみたいで、暖かくなって少し天井の結露があったので、壁をぶちぬいて換気口をつけたり、外の天井板をノコギリで切って棟換気口をつくったりしてましたが、これで家の中のことはほとんど落ち着いてきました。
最近は、家で天気が良くて身体を動かしたくなったら、石を集めてきて庭造りをしてます。間知石(けんちいし)という、いわゆる石垣につかわれるような大きな石をえっちらほっちら運んでいたら、お隣さんから「城でもつくっってんの」と言われました。「そうそう、城壁をこのあたりに」と返しました。
せっかく自分で家を作ったんだから、ブログに書いたりしたら見てくれそうだよなーと思いながら、どうも一生懸命になるとじぶんとそのものの距離がまったくなくなってしまうようで、家造りはぼく自身のことで、みたいなわけのわからないことになってしまうので、もう少し時間が経ったら、まとめてみたいなと思っています。
暮らしのこと。
家のことなんかも、ほんとはもうちょっと倉庫をつくったり、雨樋をつけたり、隣の土地を手に入れてもう一軒建てたり、もうすこし山奥の方の廃屋を手に入れて、好き放題遊べる場所にしてみたり、なんてこともやりたいなーと思ってるのですが、とりあえず今の家を建てるのにお金を使い果たしてしまって、ゆっくりやろうと思っています。子どもも大人も自由に過ごせる場所にしたいと思っていて、一緒にやりたい人とか、応援してくれる人と出会いながら形にしていくのが面白そうです。
お金といえば、家を建て終わった直前が一番少なくなったときで、本気で「今月の水道代が」という心配をしたのは人生で初めてでした。けれど、新築祝いを家族や友だちがくれたり、その月に限っていろんなところから食材をもらうことが多くて、乗り切れたどころか人生で一番食べ物が豊かな時期でもありました。家や周りの環境も含めれば、人生で一番贅沢な暮らしをしていた時期と言っても過言ではない気がします。お金の量と豊かさって本当に関係がないんだなって思いました。
そうそう、サラッと重大なことを言えば、この4月でなっちゃんが妊娠7ヶ月を過ぎました。7月の19日が予定日で、そのころに一緒に暮らすメンバーが一人増えている予定ですのでよろしくお願いします。
今も、お金の量は多いとは言えず、今いった事情からも仕事をつくらねばという意気込みは高まっていますが、ここ5年ほど、何度も何度も何度も何度も確かめて来たことの一つに、焦りや不安から行動したものは大した結果を産まない、というのがあって、周りから見たら動いていないとかゆっくりすぎるかもしれないけれど、でも一歩ずつ自分の仕事を耕していっている最中です。
仕事のこと。
「仕事っていうのは、呼ばれるようにやってくるもののことを言うんだよ。」という言葉を最近いただいたのですが、まさに、ぼくはそういうものを耕したいのだなと思います。
最後に、今耕している仕事をここに紹介します。
家をワークショップスペースとして住み開いていたり、あちこち行って催しをしたり、本を書いたり、子ども向けのことをやったり、大人向けの催しをしたり、まるでデタラメでバラバラ、なようでいて、全体を眺めるとぼくのやってることだなーと思ったりします。思うに、人とはそういうもので「これがこの人だ」という固定して捉えられるものなどなく、関わる人やいる場所によって変化し続けている。
住むことも、仕事をするのも、子育ても、暮らしとか、日々の営みをそういう前提で、触れなおして組み直していくと、こうなるんじゃないかな、という実験中です。
ゆくくる 西日本とじるツアー |
その文章の「文体」まで味わうような、そんな読む体験を通して、言葉とは文字とは何かに迫ります。人目を引くとか、もっと伝わるようにとか、そういう表面的なテクニックをすべて放り出したあとに残る、書いた人そのものとつながった言葉の探求をします。
ことば塾 |
本の声を聞く朗読会 |
過去の様子などは こちら(4/21の案内) またはこちら(長崎の当日の様子)。
雑誌「言語」 |
その他構想中のもの
・森のようちえん、もしくは子育てサークル
我が家に子どもが生まれたら、近所の人を集めてそういうものをしようと思っています。
・人生の節目を「とじる」ことほぎ屋
例えば、ハンセン病の療養所は、そこにおられる方の高齢化によって、あと10年ほどでほとんど人がいなくなるのじゃないかと言われているそうです。そういう場所を巡る「とじる旅」を、クラウドファンディングとか寄付を募ってやってみたい。そこに、ただ、そういう人たちがいたということを、その人の存在を、刻むようなことを、そういう形にしていくことは、自分にしかできないのじゃないか、という勝手な使命感すら感じていたりします。それ以外にも、今、多くの家がその役目を終えて建て壊されていっていて、そういうものを丁寧に閉じるお手伝いができたら良いなと思うのです。もちろん、結婚やなにかの人生の節目をお祝いするようなことも出来るなと思っていて、そういうことを形にしていきたい。
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