夫婦でいること 旦那として声をかけられること

公開日: 2017-05-19 暮らし

比良で暮らしながら、ゆくくるの旅先でちらっと感じたこと。
けっこう、夫婦をやることには全力を使っていて、そういう領域に触れることは気になるみたいです。言ってくれた人がどうこう、っていうのじゃなくて、大切にしてるからこっちが敏感に感じるんだよね、ということを書きながら整理。

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 結婚して、家ができて、なっちゃんが妊娠して、という変化の中で、「旦那さんがたくさん人を呼ぶから奥さんは大変なんじゃないの?」とか、「ほら、旦那さん、奥さん妊娠してるんだから◯◯してあげないと」(◯◯の中には、料理、マッサージ、その妻をいたわる系の行動が入る)という言葉を頂戴することが多くなった。


 正直、ぼくとなっちゃんの間柄において、これらの言葉はまったくピンとこない。

 ピンとこないんだけど、そうやって声をかけてくれた人は何気なく、ときには笑談みたいに軽く言っているように見えるし、こちらとしても「まあ、そう思う人もいるんだな―。」という程度だったから、なんとなくモヤモヤはするものの特別やりとりはしてこなかった。

 けど、何度も何度もこういう言葉をかけられて、よくよくこの言葉について味わっていくと、言ってる人がして欲しかったり、してもらえなくて不満なことなのかもしれない、ということに気づいた。

 だって、ぼくとなっちゃんがどういう風に人を招いているのか、普段どんな風に家事を分担したり、どんな関わり方をしているのかを知らないのに、「僕が負担をかけている」あるいは「サポートしていない」という前提で話を進めるには、その前提となるその人の「あたり前」があるはずだから。
 こういう言葉をかけてくれるのが、これまで全て“女性でかつ既婚者”ということを併せれば、これはもう、いよいよ、ご自身のことを言っておられると考えるしかない、というかそう考えないと不自然なくらいだ。

 でも、それなら言いたくなる気分くらいは分かる。

 たとえば、何か話題をつくろうと何気なく「夫婦関係あるある」な話題として言ってみる。お客さんが来たり、妊娠中で大変ななっちゃんを(想像して)心配して、僕がちゃんとサポートしてあげられるように促してみる。

 出どころはまったくの善意。なんだけど、そもそも(僕のせい、あるいは僕のサポートが足りなくて)大変ななっちゃん、を想定している時点で、こっちにとってはピンときてないから、ないものを心配されてもね、というのがモヤモヤポイント。

 でもここまで来ると、声をかけられたときに「どうしたもんかな」という気分になるプロセスまでが少しはっきりと見えてくる。

 今まではこのプロセスが見えてないから、どうやっても相手の土俵に乗らされる気がして沈黙で答えてきたけど、これもいつものとおり、気づいてしまえば自由自在で、関わりたければ「旦那さん、◯◯してくれないの?」とか「旦那さんけっこう人を呼ぶの?そのときは準備大変?」という応答ならできる。関わりたくないとか、そういう気分じゃなければ今まで通り沈黙もいいかもしれない。

 ただ、「いやけっこうやってるよ…」とか、「妻も人が来るのは喜んでいて・・・」なんて、相手の言葉に乗っていくことは今後もあんまりしない気がする。冗談交じりに「ほんとにぃ〜?」なんて返されただけで、簡単に登ってもいない山を下山させられる展開になっていくし、そもそも相手は自分の「あたり前」を元に話題をふってるんだからそうなる確率は高い。ほんとに僕らに興味があって聞く人ならもうちょっとフラットに聞いてくる気がする。


 そう言えば以前、鹿児島に住んでいたなっちゃんが、大阪に来ることになったという話をしたとき「プロポーズはしたの?してない!? プロポーズもされずに大阪に来るなんて彼女かわいそうね~。」※、随分前だからうろ覚えだけど、そんなことを言われて、そのときはさすがにその場で「失礼だ」って言ったことがある。

 そのときのぼくは、見事に相手の言葉に乗っかって言葉を応酬してしまい、ヘリコプターでキリマンジャロの山頂に降ろされて下山させられるような状況に自らすすんで入ってしまった。そして、後味の悪い終わり方をした。
 今思えばぼくはこのとき、「なんでそんなことを聞くんですか?」「なんかそういうことがあったんですか?」なんて聞いてみたら、相手の人が過去にプロポーズされずに不安だった話なんかをしてくれて、もうすこしお互いのことを知り合えるような展開になった…かどうかはわかりませんが、もう少し違う結末に向かうやり取りも出来た気がする。若かったな。




※ プロポーズについて
 一般的に男性が女性に結婚を申し込むこと、らしいのだけれど、世にいう定義を確認したら、いよいよぼくはなっちゃんにプロポーズというものをしていないことが分かった。出会った経緯や結婚式に至るまではこちらに書いたので割愛するけれど、最も近い言葉では「一緒に生きていけたらいいと思ってる」という言葉なら言った記憶がある。もうそれプロポーズじゃん、っていうようなセリフだけど、ぼくはその言葉によって結婚を約束したり申し込んだつもりがない。ただただ、一緒に生きていきたい、という願いを口にしただけだった。そして彼女はそれに応えてくれた。そうして、大阪にやってきて、一緒に生きていく過程の中で、結婚という形を選ぶかどうかは後から二人で選んだ、という自覚がぼくにはある。
 要するに、結婚は後からついてきたもので、その前に、一緒に生きていくというぼくとなっちゃんの間の意思がある。だから、ぼくが結婚を申し込む、ということはぼくたちの間には原理的に起こり得ない。
 そんな細かい違いどっちでもいいよ、と言われるかもしれないけれど、ぼくにとってこの数センチ、いや、数ミリの違いが、ぼくとなっちゃんの関係にとって決定的に重大なことで、今だってぼくは結婚をしているからなっちゃんといるのではない。一緒にいたい、と思い続けているから結果として結婚という形が保たれているに過ぎない。(そうして出会ったころと変わらず、というよりむしろこの4年ほどの時間の中で、より一層一緒にいたいとおもい続けられていること自体が奇跡的なことだと思うし、今も同じ願いを持ち続けている。…なんて書いた矢先に大きなケンカをして、あやうくなっちゃんが家を出ていきかけた…。が、それもなんとか話し合うことでまた一段落。まだもう少し一緒にいることができる。)
 たぶん本文に登場する女性とのやり取りで、さっきのセリフだけを説明すれば納得してくれた可能性は高いけれど、そうやって実態と違うことを口先だけで言うことに当時の僕は耐えられなかった。それくらい、鹿児島からくる彼女と一緒に生きていくことを大切にしようと肩に力が入りまくっていた。

 まあでも、だいぶ時間が経った今ならサラッとセリフだけ紹介してしまえるかもしれないから、数年前とは言えやっぱりあの頃は若かった。(笑)
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