お金のインタビュー 長尾文雄さん その2

公開日: 2013-03-01 お金

自分の手を動かして「食っていける」感覚を作った幼少期

小林:長尾さんが農に注目するようになった、エピソードであったりとか、きっかけみたいなものはなんだったんでしょうか?

長尾:うっすらと覚えてるのは、親父が百姓して田んぼをもって、でメシ食ってたわけですよ。まだ僕が、小学校1年生の頃は家で牛飼ってたし、農作業のための牛を。

小林:このへんですか?

長尾:ここや。まあそういう事を幼少時代はやっていて、大学生くらいまで肥料は下肥だった。この周辺の借家なんかのトイレの下肥を汲み取って、夏場において腐らせて、それを薄めてかけていくという作業ですよ。まだトラクターとかの無い、機械以前の農業ですよね。それ全部、一応は経験してんねん。笑

うちの家は、そんな現金が動いてたわけじゃないんや。米にしたって、出荷できるほどたくさん作ってたわけじゃないしね。現金に変わってたのいったら、大きかったのはイチゴやね、朝ばーっととって、9時くらいまでに箱詰めしてね、出荷してそれをお金に換えると言う、そんな生活でしょ。100バックとかね、つくって出すわけですよ。そういうようなことも僕してたし。

まあそういう原点みたいなのが僕自身にあって、だから農業っていうか土を触ってね、そういうものを作れば、食えるという感覚が僕の中にまだまだあるんや。自分の手で動きゃ面積は狭いよ、そやけども、そこでできるものは必ず自分の口に入れられるものですやん。

小林:そういう感覚があるなら(食っていけると思うのは)当たり前ですよね。

長尾:そうそう、それとね。もう一つはその頃の農村社会というのは、知恵おくれというか、障碍を持った人たちがいるんですよ。その人達は農作業の手伝い、同じ事をして丁寧にやっていくという事ことを、そういう手伝いをするという。いわゆるそこで、勤めてんねんけども給料は別にないし、要は『食えてる』わけで。その家に余裕があれば、お正月とかお盆のときにお小遣いがでて、それでちょっと遊びに行くとか、そういう事はあったんでしょうけども。そこに住まわせてもらってね、下働きをしながら。それも『食えてる』わけですよ、その人に取っては。で、家族同様にお葬式も出したり、そういう責任もそこの家が持ってる。

だから、そこに帰ることはできないかもしれないけども、集落っていうかな、村社会っていうか、そんなようなものがあればたくさん受け入れれる。今障碍もって仕事無いと言って困ってる人たちを受け入れる余地はいっぱいあると思うし。うまく機能して行けば日本の食料自給率とか失業率にもつながるかもしれん。

だから、今僕たちの社会ってそういう、「仕事をしない人は食ってはならない」みたいなね、考え方があるじゃない。お金にならない事、稼げないものはだめっていうね。そういう風潮があるわけだけども、お金はないけども、自分は他に迷惑、迷惑って言ったらあかんけども、迷惑かけないで食っている、っていうシステムをつくればね。

小林:今、常識と言われているものが一体どこから来たのか。一つ一つ疑ってかないと、そのまま持ってかれてしまうというか、そういう感覚を感じる事があって、だから今長尾さんがいうようなことっていうのはすごく分かると言うか、つながるなーという感じがあります。

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