お金のインタビュー 長尾文雄さん その1
公開日: 2013-03-01 お金
お金を介在しないで生きる手だてを考える必要が高まって来ている
小林:では始めたいと思います。よろしくお願いします。
長尾:はい。ところで君の中ではどういうエピソードがきっかけになってるの?何かあるの?こういうこと考えようかっていう。
小林:エピソード?
長尾:エピソードというか、「問題はこれや」っていうのを思った出来事とか。
小林:ちょっと長くなってしまうんですけど、最初に注目したのはリーマンショックのときですね。たかがアメリカの銀行が潰れたくらいで、なんで世界中に影響がでるのか、その構造を全然知らないので、ただ単になんで?って。そのときの僕の理解では、資本主義とか貨幣経済の中で信じられてきたものがぐらっと揺れるような、おっきな出来事だったんじゃないかな、と。
で、そもそも僕らが信頼しているお金を含めた前提が、既に屋台骨がぐらぐらするぐらいきているのかも。と考えはじめました。
長尾:そうかそうか、リーマンショックか。それで、どんなインタビューなんでしたかね?
小林:まあ、そんなことを考えている僕です、というのがここまでの分ですね。 長尾さんがその辺りどう考えていんだろう、というのは興味があります。長尾さんが「僕はこうおもうけど、君はどう思うんだ?」、みたいな流れでも面白いですし、ただ単に、「ちょっと僕の考えを今からいうから黙って聞きなさい」みたいな、感じでも(笑)それはそれで面白いです。
長尾:人とお金の、っていうのを言われて、全然意表をつかれた感じ。(笑)
小林:そうですか 笑
長尾:君こんなこと考えてるんやー!?そっちー!?っていうような。
これちょっとつながるかどうか分かれへんねんけど。例えば最近、漁業にしても農業にしても、 第一次産業っていうのがもう一回再生しないと日本がやっていかれへんやろっていうのは、みんな薄々気がついてるわけですよ。そこへ回帰する手だてって言うのは、みんな工夫してるけども、まだこれっちゅうのはないわけやね。で、どんどん農村は限界集落化していって、なくなっていく農村がたくさんあるわけでしょ。そこで慌ててる部分もあるし、でも若い人が近づけるかいうたら、なかなか近づけない。という現状がある。
そこへもし、若い人がいくとしたらね、「食べる」ことをせなあかんわけですよ。いわゆる農業というよりも、農っていうかね、自給自足でもいいんだけど、 そういう形やったらお金を介在しないで生きて行けるわけですよ。食べ物はあるわけだから。だから、まずはそういう生き方を、お金を介在しないで生きる生き方っていう のを、やっぱり見つけ出さないと、あるいは確立しないとあかんのちゃうかっていうのは思うんやね。
小林:それは長尾さんが?
長尾:うんうん。みんな「農業でなんとか現金収入にしよう」なんて思うからややこしいんや。だからようは金にはならへんけども食うことはできるというね。作って食べて自分一人分、プラスアルファ、一人とまではいかへんけども、半分くらいは養えるというね。そういう政策活動ができたらいいわけですよ。
農業はその可能性ってものすごくあるわけやんか。今も限界集落や言うてても、 高齢者がせっせと田んぼ作ってね、生産しとるわけですよ。その余剰があるはずや。売りには出されへんけどれども食べれるものはたくさんあるから、とにかくそこで一人が生きる。そういう仕組みを考えたらどうや、というのを、知り合いの就職支援なんかの仕事をしている女性がおんねんけど、その人にね「企業に勤めさせるのもいいけども、発達障碍の子とか、企業になかなか適応でけ へん人たちを自分で作って自分のものは稼げる、そういう仕組みっていうのを 作られへんのか?」っていうのを話したりしてんのよ。
小林:すごい宿題ですねそれ 笑
長尾:うん。
だけどお金を介在しないで生きるっていう、都市の中で0円で生きよう思ったら大変やんか。だけど農村の中やったら、ひょっと したらいけるかも分かれへん。発達障碍の子どもたちの話を聞いたり生き方を聞いてね、そんな風な発想で何か考えられへんかと。障碍をもった子どもが、自分が生きていける術を学んだら、別に大企業に入って適応できずに大変な目に合わなくてもいけるんちゃう か、むしろその、第一次産業っていうのが、土を触り自然の中で予期せぬことにいっぱい出会いながら、それに対応していくっていうことは、脳の働きというか、人間が本来もっている脳の働きをね、促進するんちがいますか、って。 だから「そういう仕組みを考えられへんかー?」、ってゆうてるんですけど。
小林:それは最近ですか?
長尾:うん最近。
言葉はいろいろ変わってんねんけども、そういう類のことを言ってる。お金って言う切り口もあるけど、お金を介在しないで一人の人が生きる、というより食って行けるというか。そしたら障碍を持ってる人でも、食っていけるんやったら親は手放すことができるわけや。そんな手だてを考えた方が、ええんちゃうゆうて。下手にね、高校受験させたり大学受験させたりしても、先延ばししてるだけなんや。で、結局、就職のところで行き詰まっちゃうんよ。フリーターにもなれ ない、パラサイトっちゅうか、両親にしたら子どもが20歳を過ぎ、30歳に なったらね、「自分の年を考えたらいつまで養えるんや」とか、そういう不安に かられてね。そうして悲劇は起こってるわけですよね。
そうしたら、そんな先送りしないで、早いこと農村とか、そういうところが受け入れるシステムを作って、余剰生産物でその子ども達が食えると。で、農作業をしながら、農家の手伝いをしながら、技術を学んで生産活動に入っていけばね。そしたら多少のお金に換えられるものができてくるから、いいんやないかと。そんな風に、僕の頭の中にはあるけど?
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小林:では始めたいと思います。よろしくお願いします。
長尾:はい。ところで君の中ではどういうエピソードがきっかけになってるの?何かあるの?こういうこと考えようかっていう。
小林:エピソード?
長尾:エピソードというか、「問題はこれや」っていうのを思った出来事とか。
小林:ちょっと長くなってしまうんですけど、最初に注目したのはリーマンショックのときですね。たかがアメリカの銀行が潰れたくらいで、なんで世界中に影響がでるのか、その構造を全然知らないので、ただ単になんで?って。そのときの僕の理解では、資本主義とか貨幣経済の中で信じられてきたものがぐらっと揺れるような、おっきな出来事だったんじゃないかな、と。
で、そもそも僕らが信頼しているお金を含めた前提が、既に屋台骨がぐらぐらするぐらいきているのかも。と考えはじめました。
長尾:そうかそうか、リーマンショックか。それで、どんなインタビューなんでしたかね?
小林:まあ、そんなことを考えている僕です、というのがここまでの分ですね。 長尾さんがその辺りどう考えていんだろう、というのは興味があります。長尾さんが「僕はこうおもうけど、君はどう思うんだ?」、みたいな流れでも面白いですし、ただ単に、「ちょっと僕の考えを今からいうから黙って聞きなさい」みたいな、感じでも(笑)それはそれで面白いです。
長尾:人とお金の、っていうのを言われて、全然意表をつかれた感じ。(笑)
小林:そうですか 笑
長尾:君こんなこと考えてるんやー!?そっちー!?っていうような。
これちょっとつながるかどうか分かれへんねんけど。例えば最近、漁業にしても農業にしても、 第一次産業っていうのがもう一回再生しないと日本がやっていかれへんやろっていうのは、みんな薄々気がついてるわけですよ。そこへ回帰する手だてって言うのは、みんな工夫してるけども、まだこれっちゅうのはないわけやね。で、どんどん農村は限界集落化していって、なくなっていく農村がたくさんあるわけでしょ。そこで慌ててる部分もあるし、でも若い人が近づけるかいうたら、なかなか近づけない。という現状がある。
そこへもし、若い人がいくとしたらね、「食べる」ことをせなあかんわけですよ。いわゆる農業というよりも、農っていうかね、自給自足でもいいんだけど、 そういう形やったらお金を介在しないで生きて行けるわけですよ。食べ物はあるわけだから。だから、まずはそういう生き方を、お金を介在しないで生きる生き方っていう のを、やっぱり見つけ出さないと、あるいは確立しないとあかんのちゃうかっていうのは思うんやね。
小林:それは長尾さんが?
長尾:うんうん。みんな「農業でなんとか現金収入にしよう」なんて思うからややこしいんや。だからようは金にはならへんけども食うことはできるというね。作って食べて自分一人分、プラスアルファ、一人とまではいかへんけども、半分くらいは養えるというね。そういう政策活動ができたらいいわけですよ。
農業はその可能性ってものすごくあるわけやんか。今も限界集落や言うてても、 高齢者がせっせと田んぼ作ってね、生産しとるわけですよ。その余剰があるはずや。売りには出されへんけどれども食べれるものはたくさんあるから、とにかくそこで一人が生きる。そういう仕組みを考えたらどうや、というのを、知り合いの就職支援なんかの仕事をしている女性がおんねんけど、その人にね「企業に勤めさせるのもいいけども、発達障碍の子とか、企業になかなか適応でけ へん人たちを自分で作って自分のものは稼げる、そういう仕組みっていうのを 作られへんのか?」っていうのを話したりしてんのよ。
小林:すごい宿題ですねそれ 笑
長尾:うん。
だけどお金を介在しないで生きるっていう、都市の中で0円で生きよう思ったら大変やんか。だけど農村の中やったら、ひょっと したらいけるかも分かれへん。発達障碍の子どもたちの話を聞いたり生き方を聞いてね、そんな風な発想で何か考えられへんかと。障碍をもった子どもが、自分が生きていける術を学んだら、別に大企業に入って適応できずに大変な目に合わなくてもいけるんちゃう か、むしろその、第一次産業っていうのが、土を触り自然の中で予期せぬことにいっぱい出会いながら、それに対応していくっていうことは、脳の働きというか、人間が本来もっている脳の働きをね、促進するんちがいますか、って。 だから「そういう仕組みを考えられへんかー?」、ってゆうてるんですけど。
小林:それは最近ですか?
長尾:うん最近。
言葉はいろいろ変わってんねんけども、そういう類のことを言ってる。お金って言う切り口もあるけど、お金を介在しないで一人の人が生きる、というより食って行けるというか。そしたら障碍を持ってる人でも、食っていけるんやったら親は手放すことができるわけや。そんな手だてを考えた方が、ええんちゃうゆうて。下手にね、高校受験させたり大学受験させたりしても、先延ばししてるだけなんや。で、結局、就職のところで行き詰まっちゃうんよ。フリーターにもなれ ない、パラサイトっちゅうか、両親にしたら子どもが20歳を過ぎ、30歳に なったらね、「自分の年を考えたらいつまで養えるんや」とか、そういう不安に かられてね。そうして悲劇は起こってるわけですよね。
そうしたら、そんな先送りしないで、早いこと農村とか、そういうところが受け入れるシステムを作って、余剰生産物でその子ども達が食えると。で、農作業をしながら、農家の手伝いをしながら、技術を学んで生産活動に入っていけばね。そしたら多少のお金に換えられるものができてくるから、いいんやないかと。そんな風に、僕の頭の中にはあるけど?
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