「365日のシンプルライフ」にみる西洋人のアプローチの見事さ

公開日: 2014-09-29 映画

フィンランドの映画、だからかわかりませんが
何気ないシーンもオシャレ。さすが北欧。

映画「365日のシンプルライフ」を見てきました。

モノに囲まれた暮らしに疑問を持った主人公(監督)が、
ある日すべてのモノを倉庫にしまって、
”一日ひとつだけ取りだしてよい”
”新しくモノは買わない”
”期間は1年”
というルールを設定して過ごしていくドキュメンタリー的作品。




「後でまとめてとるのはありなのかよっ」とか

「彼女の壊れた冷蔵庫を直せないけど、
ルールがあるから新しいの変えないし・・・
って、それどっちでもいいわっ」とか

登場するおばあちゃんの言葉が妙にじーんとくる以外は
いろいろツッコミを入れながら見てたのですが、
モノを見直すアプローチについて考えるきっかけになりました。



まず、「北欧でもこういうこと考える人がいるんだ」
というのはぼくにとってちょっと驚きでした。
なんとなく、少ないモノを大切にしているイメージだったので。



でも、ぼくがもっとも面白かったのは、
暮らしのことを見直すのに
1年」という期日や、「ルール」を設定して、
”実験”にしているところ。

そういえば、イギリス人のマーク ボイル氏が書いた
「ぼくはお金を使わずに生きることにした」という本も、
期日やルールを設定して、お金に依存する暮らしを
見直していました。

映画や本なので、見せかたや演出という側面も
あったのだとおもいます。
しかし、同じように自分の暮らしを見つめ直す人でも、

ゼロから始める都市型狩猟採集生活」(坂口 恭平著)
ニートの歩き方」(pha著)
ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方」(伊藤 洋志)
など、日本で注目を浴びる人の場合は、
じぶんの人生を丸ごと使って”実験” している気がするのです。

取り組んでいる人によって、”ルールのようなもの”は
つくっていますが、それも”実験を成立させるためのルール”ではなく、
あくまで、自分が暮らしやすさを高めるための方針、のようなもの。


ここまで考えると、
自分の暮らしを”期間”で切り取って実験室をつくり、
 ”ルール”を設定することで実験を成立させる環境をつくる、
というやり方が欧米っぽいところなのだろうと思えます。

映画では、携帯電話を数ヶ月使わなかった主人公が、
「携帯電話がなくても生活できることは分かったから
明日取りにいこう」 といって、翌日からガンガン携帯を
使うシーンがあるんですが、

「 いや、使ってんじゃんっ!」と、

思わず声に出してツッコミそうになりました。


いやなるほど、あくまで”実験”であって、
世の中に問いかけることが目的であれば、
”携帯がなくても数ヶ月暮らした”という結果がわかれば、
そこにはこだわらず次へ行きましょう、と。
そういうことなんでしょうね。

確かに、いつまでが実験なのか、どこまでが実験なのか、
わからないアプローチでは、大勢の人にはわかりにくいもんな。

このあたりのやり方を学んで活かしたいな、
と思うこのごろです。






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