比良のログハウスで結婚式を挙げるまで その4(橋本久仁彦さんという人)

公開日: 2014-10-22 結婚式のこと

会場の机も手づくりでつくった

これまでの記事はこちら
その1 なんのための結婚式?
その2 会場えらび編
その3 会場づくり編



会場を建てながら、(その3参照)
ようやく式の具体的な話ができるようになり、
ぼくらは当日の内容を考えることになった。




呼びたい人は、親族、友人、仕事仲間を合わせると
100名以上いたけれど、できあがる会場には
30人が入るのが限界だったこともあって、
まず、ぼくらは親族の集い(30人くらい)と、
友人・知人の集い(90人くらい)の
日程をずらして行うことに決めた。

家族と友人を会わせたい気持ちもあったけれど、
主に愛知と鹿児島で暮らしている親族同士が
一同に集まるのは、この日しかなかったので、
できるだけゆっくり時間を過ごせるようにしたかった。


30人分の座布団をログハウスに敷き詰める様子。


とはいえ、
親族が集まる場で、たっぷり時間があれば、
時間を持て余すことになりかねないのは
ホテルでもログハウスでも同じ。

「じゃあどうしよう」とぼくらが話したときに
自然に決まったのは、橋本久仁彦さんを呼んで、
親族一人ひとりの言葉を聞く場をつくることだった。



橋本さんには、式の中で挨拶をしてもらった。
そのとき話してもらった言葉は、ぼくたちの結婚式の
意味を丁寧に形にしてくれたと思う。

橋本さんは、ぼくらが出会うきっかけとなった人。
20代、彼女は環境教育の分野で、ぼくは教育系のNPOで、
それぞれの希望を持って働いていた。
その中で、”そこにいる人じゃない何か”が中心になって
生じるしんどさや、活動との不一致感を感じていたぼくらは、
じぶんのやっていることが「これでいいのだろうか」と
悩みながらも、なんとか仕事をしていた。

まだお互いの存在は知らなかったけれど、
同じような違和感と、それに対する突破口を求めて、
ファシリテーションやコミュニケーションのことを
学んでいく中で、ぼくらは偶然、橋本さんと出会った。

橋本さんは、若い頃に高校の先生をしていた。
そのころ、「教えない授業」という、カリキュラムや
教科書ではなく、その場にいる生徒を中心にした
授業を実践していたと聞いている。
その後、10年ほど大学のカウンセラーとして勤め、
今は、個人で「きく」ことにまつわる場づくりを、
全国各地にでおこなっている。

2014年は、広島・長崎で、被爆者の方の声を
お聞きする活動で、一緒に旅をした。

ずっと後になって、橋本さんがやっていることは、
アメリカのカール・ロジャースという人が提唱した
「パーソン・センタード・アプローチ 」
(人間中心のアプローチ)
というものがベースになっていると聞いた。

人間中心の結婚式、というと、ちょっと大袈裟だけれど、
ぼくたちがしたかったのは、橋本さんがつくっている場で
感じられるような、その場にいる全員が
そのままいることができる、そんな場だった。


そしてさっそく協力のお願いをしにいくと、
橋本さんはその場で快諾してくれた。
先に入っていた仕事を調整してまで、ぼくらの結婚式に
協力をしてくれるという言葉は、本当にうれしかった。





同時に、友人・知人の集う日については、
「結婚パーティ」と題して”お披露目のご挨拶”に
徹することにした。


ぼくらとご縁のあった土地にきてもらい、
建てたログハウスを感じてもらいながら、
ささやかな食べものと、(といっても気を使うけど)
演奏でおもてなし(ぼくの友人はなぜか演奏できる人が
多かった)を準備して、会場と時間の許す限り、
ぼくらも含めてその場にいる人がゆっくり一緒に
いられる集まり。

夏の比良。山と空と田んぼが広がる。


まだこれからの生きかたが具体的に
なっていなかったけれど、そうすることで、
ぼくらが結婚してどんな道をいこうとしているのか、
伝えられたらと思っていた。

そしていよいよ当日を迎えることになる。

次回に続く

  • ?±??G???g???[?d????u?b?N?}?[?N???A

0 件のコメント :

コメントを投稿