比良のログハウスで結婚式を挙げるまで その5・最終回(やり方じゃなく在り方)
公開日: 2014-10-22 結婚式のこと
当日の朝、手伝ってくれる友人との打合せ。 |
ようやく当日にたどりつきました。
これまでの記事はこちら
その1 なんのための結婚式?
その2 会場えらび編
その3 会場づくり編
その4 橋本久仁彦さんという人
案内状の用紙を選びにいって険悪になったり、
ウェディングドレスを選びにいく道中で
大げんかをしたり、
ログハウスの完成が間に合うか危ぶまれたり、
たどり着くまでの出来事は多々あったものの、
ぼくらは何とか当日を迎えることになった。
手伝ってくれる友人はいるものの、
全てがじぶん達で決めたことだったので、
遠いところから呼びつけた親族がどんな想いで
一日を過ごすのか、責任がドーンと肩に
のしかかるような不安やプレッシャーを抱えての当日。
会場に飾る花は、「店舗のない花屋」をしている、 ぼくの従姉妹にお願いした。 ちなみにブーケは母がつくった。 (以前、ブーケをつくる仕事をしていたので) |
「始まってみればあとは夢中でした」
なんていう言葉をよく聞くけれど、
そんなことは全くなくて、一つ催しが終われば次、
という感じで、 とにかくずーっと緊張しながら
一日を過ごしていた気がする。
後日、両家の親族からは
「あんなに新郎新婦が働く結婚式は初めてだった」
というコメントが相次ぐことになるのだけれど、
その日のぼくらは、とにかく必死だったのを覚えてる。
どれくらい必死だったかというと、
新婦みずから車を運転して、
親族の送り迎えを手伝っていたくらい。。
「指輪は無くしそうだし普段からつけたいと思わない」 という理由で、指輪交換ではなく、京都の革靴屋さんに 頼んだ靴を交換をした。手入れをしながら、 一生使う予定。靴ならなくすことはないはず。 |
その甲斐あって、単に新郎新婦が忙しそうな式、
というだけに留まらず、ぼくたちの予想をこえて、
親族同士、そしてぼくらと親族のつながりが
深く、濃くなったような場になったことは、
以前の記事に書いた通り。
もちろん、そうなったのは、
前回紹介した橋本さんに頼んだ親族の集いの時間が
大きな役目を果たしたことは言うまでもない。
親族で大きな円になって、一言ずつ語る場。 ただそれだけなのに、胸がいっぱいになる時間だった。 場を進めたのはもちろん橋本さん。 |
親族の集いにすべての力を使い果たし、
2日後の友人・知人を呼んだ結婚パーティでは、
体力がほとんどゼロの状態から、
まる一日のどんちゃん騒ぎにあけくれ、
終わってから数日は試合後のボクサーように
ぼくらはぐったりとし続けたのだけれど・・・。
パーティは午前、お昼、夕方の3部に分かれて、 30人ずつの友人・知人にきてもらった。 各回、違う人に演奏をしてもらったけれど、 しっとりした午前、大盛り上がりの午後、 聞き惚れる夜、とカラーがあって面白かった。 |
そういえば、
結婚式の直後、ぼくらは岐阜の友人の家で
数日を過ごさせてもらうことになった。
そして、それから半年たったつい先日、
その彼の結婚式にぼくらは参加してきた。
絵本のような不思議な魅力のある式だった。 |
会場は彼らが住んでいる家と田んぼ。
そこでやること自体が
「じぶんたちはここで生きていきます」
というメッセージのようで、
「二人らしいなぁ」と思って帰ってきた。
まるで100人収容のホールみたいになった田んぼ。 豚の丸焼きやキャンプファイヤーもあった。 |
会場が、というよりは、その土地が発する
エネルギーというかメッセージってあるよなぁと思う。
結婚式の場合、それが”二人らしさ”のようなものと
つながっていると、心地よく感じるのかもしれない。
だから、ぼくらや、岐阜の友人はたまたま特殊な
環境で式をあげることになったのだけれど、
結婚する二人のライフスタイルによっては
ホテルでも、ブライダル専門の会場でも、
構わないのかもしれない。
どちらかというと、
二人の生きかたのほうが先にあるわけだから、
会場なんて後づけで決まってくるものとも言える。
当初は、人を大事にする結婚式ってこんな風にできますよ、
なんていう記事になったらいいなとおもって、
「人間中心の結婚式の挙げ方」というタイトルを
つけていたのだけれど、ここまできて、
そんなことは言えないと思って、
そのタイトルは取り下げることにした。
どうやって会場を選ぶか、とか、
どんな風に式を挙げるのか、という前に、
その二人の生き様があるわけだから、
それさえあれば、形なんてどうでもいいのかもしれない、
そんな風に思ってしまったから。
長くなりましたが、最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
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