『ハンター×ハンター』を見てはじまった禅問答
公開日: 2014-10-05 日記
作者が1年以上続きを書かないこともあるので ちょっとでも続きを書いたらうれしくなるという、 へんな感覚にさせられる漫画。 |
実は、小さいころからマンガやアニメが好きで、
今でもいろいろ見ております。
なかでも「ハンター×ハンター」という漫画はお気に入りで、
先日、アニメを見ていたらグッとくるシーンがありました。
主人公の父親が、ある遺跡の調査について語るシーン。
むずかしい調査をなんとかやり遂げたときに、
うれしかったのは歴史の真実を目にしたことではなく、
なけなしの生活費をけずりながら一緒に遺跡調査をした
仲間のほうを振りかえって握手をしたときだった。
今もつながり続けているその仲間に比べれば、
求めていた真実はおまけのようなものだった、
そう語ったあと、「大切なものは欲しいものより先に来た」
というセリフで締めくくられます。
道のりのなかに目的地よりも大切なものがある、という話。
もう少し言えば、
目的地まで歩んでいくなかに、出会う人や見える景色、
風の感触や土の匂いとか、そういうものが道のりのなかにある。
たしかに目的地に向かって進んでいるけれど、
そこに辿りついてみれば、道すがら出会ったものこそ目的で、
目的地にいくことは手段だったという話。
「そういうことってあるよなー」と思う。
思うからグッとくるのだろうけど、
だまし絵やメビウスの輪のように、
目的と手段がいつのまにかひっくりかえってしまうので、
言葉でどういうことかを説明するのはとてもむずかしい。
メビウスの輪 |
どこからが表で、どこからが裏なのか、どこからが高くて、どこからが低いのか、
どこからが目的で、どこからが手段なのか、
その動きをとらえることはできない。
無理に説明しようとすれば
「目的こそ手段であり、手段こそが目的である」
なんて、禅問答みたいなことになってしまう。
そもそも、
目的地も道のりも一つの道でつながっているし、
なんの目的もなくさまよっているときには
目的地と道のりなんていう対比はできるはずもない。
なので、「道のり」といった瞬間に
目的地の存在がセットされているわけだ。
では、
死という目的に向かって生きていく人生の場合はどうだろう?
と考えると、生きることこそが目的だ、なんて言ってみたくなる。
生きるとは、行ききること、だとするなら、
そこにも、死という目的地がしっかり据えられている気がする。
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