じぶんは目的を達成するための手段なのか

公開日: 2014-10-06 日記

夏の徳島県上勝町に通る道

きのう、「生きることが目的だ」と言ってみたけど、
その言葉だけ聞くと、「命のためにはなんでもしまっせ」
みたいな響きがある。

そのフレーズで思い浮かぶのは 命乞いをしているシーンとか、
生きるために人の命を奪うシーン。




いやいや、ぜんぜんそういうことじゃないんだけど、
でも文字を読めばそうとしか思えない・・・。
そして、ここまできて「目的」という言葉が
とんでもなくやっかいなのだと気づきました。

「目的」という言葉を聞くと、
少なくともぼくは、どう達成するか、どう効率的に辿りつくか、
なんてことを連想する。
たとえば、「目的が全て」ということになれば、
ぼくは”目的さま”のために働く”手段くん”となる。
ぼくを動かすのは「目的」で、ぼくの体は 「手段」。
ガンダムみたいなロボットに、
目的というパイロットが乗り込んで操縦するイメージ。

・・・これって、今までぼくが仕事をするときに
持ってたイメージそのものかもしれません。。


だから、昨日書いた、漫画のセリフがぼくに響いたんだな。
その人が、その人そのものとして生きているから。
目的も手段も、その人が生きているなかで変化して、
自由に形を変える。

だから、やっぱり”ぼく”こそが目的、ということにしよう。
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