「立ち止まる時間をつくる」という仕事のレポート
公開日: 2015-01-13 円坐・エンカウンターグループ
昨年末に書いた記事(「立ち止まる時間をつくる」という仕事 )
を、1月頭に2日間濃密にやってきたのでその記録をこちらにも残しておきます。
場所は、京丹後の宮津市というところ。
野外活動施設を営んでいる職員さんとの円坐でした。
(円坐についての説明はこちら)
すでに人間関係が構築され、普段から一緒にいる方の中に入らせてもらう形での始まり。始まる前から、「今日は一体何が始まるんでしょうか?」「座禅ですか?」なんていう言葉が飛び交い、ちょっとどころかかなり動揺してのスタート。
そこで助けられたのは、団体の中でこの円坐を企画した担当者の方の腹の据わりでした。「わが組織にはこの2日間が必要なのだ」という、落ち着いた覚悟のよ うなものがあるおかげで、部外者であるぼくと田島さんは、10人ほどの職員さんと理事さんの作る円の中に入れてもらえたような気がします。
始まってからしばらくは、普段の何気ない会話の延長のような時間が長くつづきましたが、言葉を聞かせていただくうちに、それぞれの口からポロリポロリとそれぞれの姿を見せていただくような味わいのある声が聞こえてきます。
施設のできるずっと前、祖父の時代からその土地で暮らしている理事が語ったのは「この施設に期待するのは人との出会いだけ。」という言葉でした。そしてそ れは「宿泊施設だから、人の少なくなった村に人がきてくれるのがうれしいのかな?」という、浅はかな僕の予想など、吹き飛ぶような理由で語られていたので した。
聞くと、「この施設が持っている森や野原の中にある道は、30年以上前に亡くなった自分の父が作ったものだった。山の中にある田んぼだから、昔は、田んぼ に行くまでも道がなければ大変なことだった。父は村の人が通れるようにとその道をつくり、村の人たちはその道を行き交いしたものだった。時が経って、不便 なところにある田んぼは使わなくなり、道も使わなくなったけれど、こうしてまた、たくさんの人が訪れてその道を歩いてくれる、それだけで十分だ。」「施設 ができると聞いたとき、祖父の代から受け継いできた土地に、手が加えられることが快いことではなかったけれど、今はそう思うようになった。」とのことでした。
過去に何度か訪れたことがあり、おそらく、その語ってくれた「父の作った道」を通ったことのある僕にとって、これは、その施設のある土地に対する見え方がまったく違って見えるような、衝撃的な言葉でした。
円坐の最後、円坐の担当者の方から聞こえたのは一言「良かったです。」という言葉。終わった後に立ち話をしたときには、普段、何かを決めたり、進めていく 中で、わざわざ確認したり聞いたりしないことが、この2日間にはたくさん出てきていた。というような話を一緒にしていました。
ビジョンやミッションを作る、とか、団体のマネジメントのレベルアップを目的とした場として設定した研修をしていたら、僕は理事からでてきた「父の作った 道」の話を聞くことができたのだろうか、ということを思います。確かに効率や生産性に焦点を当てれば、聞けなくても、聞かなくてもいいことなのかもしれな い、でも、ぼくにはこの「父の作った道」の物語こそが、この施設の理念であり、ビジョンであり、組織が集っている唯一の絆だとも思えるのです。
を、1月頭に2日間濃密にやってきたのでその記録をこちらにも残しておきます。
会場は雪景色でした。 |
場所は、京丹後の宮津市というところ。
野外活動施設を営んでいる職員さんとの円坐でした。
(円坐についての説明はこちら)
すでに人間関係が構築され、普段から一緒にいる方の中に入らせてもらう形での始まり。始まる前から、「今日は一体何が始まるんでしょうか?」「座禅ですか?」なんていう言葉が飛び交い、ちょっとどころかかなり動揺してのスタート。
そこで助けられたのは、団体の中でこの円坐を企画した担当者の方の腹の据わりでした。「わが組織にはこの2日間が必要なのだ」という、落ち着いた覚悟のよ うなものがあるおかげで、部外者であるぼくと田島さんは、10人ほどの職員さんと理事さんの作る円の中に入れてもらえたような気がします。
始まってからしばらくは、普段の何気ない会話の延長のような時間が長くつづきましたが、言葉を聞かせていただくうちに、それぞれの口からポロリポロリとそれぞれの姿を見せていただくような味わいのある声が聞こえてきます。
施設のできるずっと前、祖父の時代からその土地で暮らしている理事が語ったのは「この施設に期待するのは人との出会いだけ。」という言葉でした。そしてそ れは「宿泊施設だから、人の少なくなった村に人がきてくれるのがうれしいのかな?」という、浅はかな僕の予想など、吹き飛ぶような理由で語られていたので した。
聞くと、「この施設が持っている森や野原の中にある道は、30年以上前に亡くなった自分の父が作ったものだった。山の中にある田んぼだから、昔は、田んぼ に行くまでも道がなければ大変なことだった。父は村の人が通れるようにとその道をつくり、村の人たちはその道を行き交いしたものだった。時が経って、不便 なところにある田んぼは使わなくなり、道も使わなくなったけれど、こうしてまた、たくさんの人が訪れてその道を歩いてくれる、それだけで十分だ。」「施設 ができると聞いたとき、祖父の代から受け継いできた土地に、手が加えられることが快いことではなかったけれど、今はそう思うようになった。」とのことでした。
過去に何度か訪れたことがあり、おそらく、その語ってくれた「父の作った道」を通ったことのある僕にとって、これは、その施設のある土地に対する見え方がまったく違って見えるような、衝撃的な言葉でした。
円坐の最後、円坐の担当者の方から聞こえたのは一言「良かったです。」という言葉。終わった後に立ち話をしたときには、普段、何かを決めたり、進めていく 中で、わざわざ確認したり聞いたりしないことが、この2日間にはたくさん出てきていた。というような話を一緒にしていました。
ビジョンやミッションを作る、とか、団体のマネジメントのレベルアップを目的とした場として設定した研修をしていたら、僕は理事からでてきた「父の作った 道」の話を聞くことができたのだろうか、ということを思います。確かに効率や生産性に焦点を当てれば、聞けなくても、聞かなくてもいいことなのかもしれな い、でも、ぼくにはこの「父の作った道」の物語こそが、この施設の理念であり、ビジョンであり、組織が集っている唯一の絆だとも思えるのです。
0 件のコメント :
コメントを投稿