森洋介にきく その2
公開日: 2015-01-17 円坐・エンカウンターグループ
「ひとつひとつ大事にして、生きてる感じがものっすごく伝わってくる。」
小林:なんどか?
森: そんなに多くないよ、僕の記憶に残ってんのは2回くらいしかないな。
ほんで、西光先生の書いてる本を読んだりして、なにかの講座とかも出てるな。それから、あるとき大学を歩いてたら、西光先生がヒョコヒョコっと歩いてらしたので、
「あ、エンカウンターのところで、ご一緒させてもらった森です。いろいろ勉強させてください。」みたいな感じで(挨拶したら)、「おお、そうかそう かー。」って言ってしばらく歩かれて、もう一回フーッて帰ってきはって、「えーっと、お名前なんていうんやったけな」、「あ、もりです」って言って、 「あ、そっかそっか」って、ほんで名前覚えてもらえたのか分からないけど、その丁寧な感じはまだ、僕の中で印象に残ってて、「もっかいちゃんと聞き直して くれたんやなー。」みたいな。
もう一つ印象に残ってるのは、赤穂で2001年、「パーソンセンタードアプローチ国際フォーラム」という催しがあって、下準備は山下和夫さんがしてはっ た。山下さんが外国で開催されているフォーラムに行ったときに、「日本でもやらないか」という話がでて、「僕の大学でできる」という話をして実現したんだ けど、日本で初めてパーソンセンタードの国際フォーラムが実現した。
そのときに、西光先生ももちろん来てくれはって、話の内容ほとんど忘れたけど、そのときは“日本における、ダルマベースド・パーソンセンタード・アプロー チ”という話をしはって、“ダルマ”とはなんぞや、とかいう話を分科会でしてて、ぼくも西光先生目当てでそこにいてたから、聞きに行った。
でまぁ、カウンセラーとクライエントの人間同士の対話だけど、その下にはダルマがあるんだ。」というような話をして、もう時間終わって、過ぎてんねんけ ど、「いやーこれだけは」って言って、起き上がりこぼし(小法師)を持ってきて、コロコロコロッーって転がして「これですよこれ!」って言わはって、なん ちゅうかな、かわいらしい、おじいちゃんなんやけど、その、その場にいてた、色んな国の人の心わしづかみにして、「おぉーっ」て。笑
で、にっこり「これ出来た、これ出来た」って。(笑)
そういう、立ち居振る舞いみたいな、その、話をする時の、しずかーな静寂の中にポツポツと言葉をいれてく感じとか、そういうのが僕の中では印象に残ってるし、「あんな生きかたをしたいなー」っていうような想いは、すごくあるね。
で、そのあと、伊勢達郎さんの恩師で六浦基さんという人がいて、その人のところへ勉強したいなと思って行った。その六浦先生も、面白くて、構成的なグルー プをどんどんやる人だった。でも、僕の中ではロジャースというのがベースにあると思い込んでいたので、あるとき六浦さんに「ロジャースの言ってることが ベースにあるとおもうんですけど」って聞いたら「ロジャースかー、まぁねー・・・」みたいな感じだった。
そのころは、エンカウンターっていってもシュッツとか、ゲシュタルト療法のパールズとか、とにかく輪になってやるものは広い意味でエンカウンターみたいな 感じで、六浦さんはそういうのをどんどん取り入れているので、僕の中のイメージでは、六浦さんは、“日本に輸入されたゲシュタルト療法”をやったというよ りは、自分で直接海外に行って、そこで自分が体験したことをワークに取り入れてやったという、そういう感じだった。そんなふうにおっしゃっていた。でも、 僕の中では「あれー、僕の中ではみんなロジャース学んで同じはずやと思ってたのに、そうでもないんかな」みたいなことになった。
で、西光先生の場に坐った時のあの質感との違いは何なんだろう、みたいな問いが生まれて、「確かに違うよな、質感」と思って。笑
ある日、六浦さんに(ろくさん、と呼んでいた)、「ぼく夢があるんですけど、西光先生とろくさんとの対談みたいなのあったら是非行きたいと思って」と言っ たら、「じゃあ森くん企画したらどうかなー」ってろくさんに言われて、「そうだな」っておもって、対談を企画したんよね。
これが「やるぞー!」と言ったのはいいけど、やり方がわからないし。笑
当時山口にいて、そういう企画して人を呼ぶとなったら大阪か、京都かなと思ったから、京都の会場をおさえて、でもどうやって人を集めるんかわからへんし、とかで、かなり裏でいろんな人に助けていただいた。笑
それで、対談講演は、伊勢達郎さんにコーディネーター役をつとめていただいて、お二人の対談を進めていただくかたちで、実現した。
でも、講演当日、肝心の僕は、「開催できたーっ」ていうことでほとんど放心状態。笑
伊勢達郎さんになんとかお任せして、いろんなひとに助けてもらって、お客さんこんだけ来てくれたー、と。そこに一番意識が向かってた。笑
小林:中身はそんなにおぼえてないの?
森: そう、だから中身はそんなにおぼえてない
小林:それ聞きたくてやったのに。笑
森: ただ、印象に残ってるのは、フロアにいる人が、「そんなウンウン聞いてるだけじゃ、その人変わらないじゃないですか。問題行動を許容してしまうことになるんじゃないですか。」って言ったら、
「ぃやー、『受容』ということについて、まだその程度の理解なんですか。」みたいな感じで、言葉は穏やかやったけど、その、なんていうか、はっきりと落胆している感じが、その感覚はすごく残ってる。
そのやりとりを聞きながら、僕自身も、「僕の『受容』ということの理解も、本当の意味でわかっているのかと問われたら、自信をもってそうですと言えるのか?きちんと勉強せねば。」と、背筋が伸びた感覚を、今、思い出す。
ほんで、講演が終わって、懇親会も終わって、お見送りした後、「ありがとうございました。」って言ったら、「今からちょっと、せっかくここまで来たから書店に行く」って、で、エレベーターのって、ほんまに行かはった。笑
疲れてはったやろうに、すごい、バイタリティというか、探究心ものすごくある。
小林:すごく本が見たかったんだろうなーという感じもするね。
森: そうそうそうそう、そういうだからやっぱり、佇まいとか、生きる姿勢みたいな、ほんとに生きてる時間、ひとつひとつ大事にして、生きてる感じがものっすごく伝わってくる。
小林:なんどか?
森: そんなに多くないよ、僕の記憶に残ってんのは2回くらいしかないな。
ほんで、西光先生の書いてる本を読んだりして、なにかの講座とかも出てるな。それから、あるとき大学を歩いてたら、西光先生がヒョコヒョコっと歩いてらしたので、
「あ、エンカウンターのところで、ご一緒させてもらった森です。いろいろ勉強させてください。」みたいな感じで(挨拶したら)、「おお、そうかそう かー。」って言ってしばらく歩かれて、もう一回フーッて帰ってきはって、「えーっと、お名前なんていうんやったけな」、「あ、もりです」って言って、 「あ、そっかそっか」って、ほんで名前覚えてもらえたのか分からないけど、その丁寧な感じはまだ、僕の中で印象に残ってて、「もっかいちゃんと聞き直して くれたんやなー。」みたいな。
もう一つ印象に残ってるのは、赤穂で2001年、「パーソンセンタードアプローチ国際フォーラム」という催しがあって、下準備は山下和夫さんがしてはっ た。山下さんが外国で開催されているフォーラムに行ったときに、「日本でもやらないか」という話がでて、「僕の大学でできる」という話をして実現したんだ けど、日本で初めてパーソンセンタードの国際フォーラムが実現した。
そのときに、西光先生ももちろん来てくれはって、話の内容ほとんど忘れたけど、そのときは“日本における、ダルマベースド・パーソンセンタード・アプロー チ”という話をしはって、“ダルマ”とはなんぞや、とかいう話を分科会でしてて、ぼくも西光先生目当てでそこにいてたから、聞きに行った。
でまぁ、カウンセラーとクライエントの人間同士の対話だけど、その下にはダルマがあるんだ。」というような話をして、もう時間終わって、過ぎてんねんけ ど、「いやーこれだけは」って言って、起き上がりこぼし(小法師)を持ってきて、コロコロコロッーって転がして「これですよこれ!」って言わはって、なん ちゅうかな、かわいらしい、おじいちゃんなんやけど、その、その場にいてた、色んな国の人の心わしづかみにして、「おぉーっ」て。笑
で、にっこり「これ出来た、これ出来た」って。(笑)
そういう、立ち居振る舞いみたいな、その、話をする時の、しずかーな静寂の中にポツポツと言葉をいれてく感じとか、そういうのが僕の中では印象に残ってるし、「あんな生きかたをしたいなー」っていうような想いは、すごくあるね。
で、そのあと、伊勢達郎さんの恩師で六浦基さんという人がいて、その人のところへ勉強したいなと思って行った。その六浦先生も、面白くて、構成的なグルー プをどんどんやる人だった。でも、僕の中ではロジャースというのがベースにあると思い込んでいたので、あるとき六浦さんに「ロジャースの言ってることが ベースにあるとおもうんですけど」って聞いたら「ロジャースかー、まぁねー・・・」みたいな感じだった。
そのころは、エンカウンターっていってもシュッツとか、ゲシュタルト療法のパールズとか、とにかく輪になってやるものは広い意味でエンカウンターみたいな 感じで、六浦さんはそういうのをどんどん取り入れているので、僕の中のイメージでは、六浦さんは、“日本に輸入されたゲシュタルト療法”をやったというよ りは、自分で直接海外に行って、そこで自分が体験したことをワークに取り入れてやったという、そういう感じだった。そんなふうにおっしゃっていた。でも、 僕の中では「あれー、僕の中ではみんなロジャース学んで同じはずやと思ってたのに、そうでもないんかな」みたいなことになった。
で、西光先生の場に坐った時のあの質感との違いは何なんだろう、みたいな問いが生まれて、「確かに違うよな、質感」と思って。笑
ある日、六浦さんに(ろくさん、と呼んでいた)、「ぼく夢があるんですけど、西光先生とろくさんとの対談みたいなのあったら是非行きたいと思って」と言っ たら、「じゃあ森くん企画したらどうかなー」ってろくさんに言われて、「そうだな」っておもって、対談を企画したんよね。
これが「やるぞー!」と言ったのはいいけど、やり方がわからないし。笑
当時山口にいて、そういう企画して人を呼ぶとなったら大阪か、京都かなと思ったから、京都の会場をおさえて、でもどうやって人を集めるんかわからへんし、とかで、かなり裏でいろんな人に助けていただいた。笑
それで、対談講演は、伊勢達郎さんにコーディネーター役をつとめていただいて、お二人の対談を進めていただくかたちで、実現した。
でも、講演当日、肝心の僕は、「開催できたーっ」ていうことでほとんど放心状態。笑
伊勢達郎さんになんとかお任せして、いろんなひとに助けてもらって、お客さんこんだけ来てくれたー、と。そこに一番意識が向かってた。笑
小林:中身はそんなにおぼえてないの?
森: そう、だから中身はそんなにおぼえてない
小林:それ聞きたくてやったのに。笑
森: ただ、印象に残ってるのは、フロアにいる人が、「そんなウンウン聞いてるだけじゃ、その人変わらないじゃないですか。問題行動を許容してしまうことになるんじゃないですか。」って言ったら、
「ぃやー、『受容』ということについて、まだその程度の理解なんですか。」みたいな感じで、言葉は穏やかやったけど、その、なんていうか、はっきりと落胆している感じが、その感覚はすごく残ってる。
そのやりとりを聞きながら、僕自身も、「僕の『受容』ということの理解も、本当の意味でわかっているのかと問われたら、自信をもってそうですと言えるのか?きちんと勉強せねば。」と、背筋が伸びた感覚を、今、思い出す。
ほんで、講演が終わって、懇親会も終わって、お見送りした後、「ありがとうございました。」って言ったら、「今からちょっと、せっかくここまで来たから書店に行く」って、で、エレベーターのって、ほんまに行かはった。笑
疲れてはったやろうに、すごい、バイタリティというか、探究心ものすごくある。
小林:すごく本が見たかったんだろうなーという感じもするね。
森: そうそうそうそう、そういうだからやっぱり、佇まいとか、生きる姿勢みたいな、ほんとに生きてる時間、ひとつひとつ大事にして、生きてる感じがものっすごく伝わってくる。
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