誰かのために、が本当の美味しさを無くす

公開日: 2015-01-19 仕事


「だれか」のために作った料理でも
作りたくて作ったものはおいしい。



大谷さんのブログを読んで、
1500円新年会というものをしていて、
ぼくの持っているグループ観とのつながりをかんじる。

1500円新年会とはこんな会らしい。
どんな食べ物であっても、その人が「それがほしい」と思ったものを買う。

食べ物であれ、本であれ、誰か一人でも「それだ」という意思を持てば、成立する。
他の参加者は、その一人の意思によって成立する場で様々に振る舞える。


おもしろい。
そして、自動的に仕事とか場づくりのことを連想していた。

何かの仕事をするとして、

じぶんが「だれに何を言われようと、絶対にこれが必要だ」
と言えるものでもない限り、多くの場合は
”自分以外の人に受け入れられること”を目指す。

昔のぼくは、”自分以外の人に受け入れられること”を
計算できる人こそ仕事のできる人だと思っていた。
そして、「そういう人になりたい」「なるべきだ」
と思っていた。

でも、原理的に、仕事を生み出す人以上に
その仕事に真剣になる人などいない。

であれば、自分以外の誰かに合わせて作ったような仕事を
誰が本当の意味で喜んだり、ありがたかったりするのだろう。

今考えれば、順番が逆だったのだと思う。

ぼくが責任を持って取り組める事であれば、
どんなことでも自分以外の人は受け入れてくれるのだ。

その結果、人が喜ぶのか、無反応なのか、反発するのか、
それはわからない。けれど、少なくとも、
その仕事とぼくの関係は、そうしてはじめて成立する。

といっても、
本当の意味で自分のことを含めて仕事をする、
というのは組織の中では難しいこと。
ぼく自身のことを思いだすと、
やっぱり個人で働く前の仕事は、
残念ながら不成立な仕事ばかりが思いだされる。無念。

こんなことを考えた後に、大谷さんの1500円新年会を
逆側から説明すればこうなるのかな。

自分がそれほど食べたくないものを、誰かのために買い、
それがテーブルの上に置かれたとき、それは
「誰からも真剣さを与えられなかった食べもの」になる。

誰かが、気を使って食べてくれるかもしれない。
見栄えや全体のバランスを整っていれば、
そんな食べもので溢れていても、豪華に見えるかもしれない。

で・・・・
それを誰が喜んで食べるのだろうか?




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