ほっぽられたものがない気持ちよさ

公開日: 2015-01-20 日記


最近毎日更新される大谷さんのブログ。
気づくと、更新されてないかチェックしている。



昨日に続いて、大谷さんのブログのこと。
 【042】自分勝手たちによる最高の「1500円新年会」
もおもしろかった。

人が集まる場そのものは、主催者がいることによって成立する。

「こんな場にしたい」「これをしたい」ということによって、
その場が作られているのだから、
その影響力はその場にいる全員にとどく。

だから、主催する人の意図がはっきりしなかったり、
主催する人のねらいがあるのに明かされず、
なんとなく「その場にいる人のために」ということになると、
妙な違和感、というか、見えない操作をされたような感じになる。

大谷さんのブログでおもしろいのは、飲み会をするときに
「買ってきたもの」も、同じような作用がある、というのを、
考えただけじゃなく、実際にやった感覚から言っているところ。


1500円新年会では、
本当はじぶんが食べたいのに、「〜〜さんのために」
といって出されるものは存在しない。
じぶんは食べても食べなくてもいいけれど、
「だれかが食べるだろう」というものも存在しない。

かならず、だれかが食べたいと思うものしかないから、
だれかとだれかの間に挟まれて、ほっぽっておかれるものが、
存在しなくなる。

これって、人が集まって話をする時に起こる現象とつながっている。
だれかのために、といって質問したり、話をしたりするけれど、
実のところ、質問したり話したりする本人はたいした熱を持たずに
そこに「いる」ということが、よくある。

そういうとき、ほっぽっておかれた食べものがテーブルに
残っているのと同じように、その場には、なんとなーく残念というか、
ちょっとした気持ち悪さと言うか、違和感と言うか、何かが残る。

1500円飲み会、ぼくもやってみたいな。
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