森洋介にきく その5
公開日: 2015-01-19 円坐・エンカウンターグループ
「カウンセリングワークショップ」と「円坐」の質感
森: くにちゃんがやってた場もいろいろ名前は変わってて、20年前くらいには、カウンセリングワークショップという名前を使ってた。世の中としても、カウンセ リングワークショップと名前がつけば、いわゆる非構成のエンカウン ターグループのような場で始まる場だと言う感じだった。当時は、だいたい何十人かの大きなグループで始まんねんけど、ある程度の時間が過ぎると小グループ に分かれていく動きが起こんねん。
で、それぞれ「自由に小グループなりませんか」みたいな感じで動き出して、小部屋に小グループが生まれるみたいな感じだった。
で、それぞれは別にエンカウンターしているとも限らず、「我々は歌を歌いたいから歌う。」とか、「散歩したいから散歩グループだこれは。」とか、2泊3日自由に過ごすと、いうのがわりとメインな感じだった。
小林:何十人も!?
森:そうそう。カウンセリングワークショップといえばそんな感じで、始まりが非構成のスタイルで始まるので、ぼくの中で「非構成のエンカウンターグループってこれのことなんかいな。」みたいな感じも印象としては持っていた。
で、大学4年生のときに初めて行ったカウンセリングワークショップというかサマーセミナーは、まさにそんな感じだった。一時間も立たないうちに「こんなん どうにもならんやろ、分かれようよ不自由やし。」って言って小さいグループに分かれだして、どこかのグループは「今からこれやろう。」って、音楽を流して 瞑想、といっても、じっと座る瞑想じゃなくて動く瞑想というか、曲をどんどん流しだしたりしていた。
大学4年生で初めてそんな場に出くわして、「うわー、やばいとこに来た。なにこれー!?」と思ったのは覚えてる。笑
で、後で文献とか見てると、いわゆるカウンセリングワークショップって、最初大グループで自然に小グループに分かれていって、みたいな、そういうことなん だなーというのが分かってきて、ただ、ファシリテーターは指示をしないので、 自由に過ごしていいんだ、という、その自由に重きを置いていた感じがあるよね。
最初は大グループなんやけど、自由に自分たちの居場所をつくるみたいなのが最初の動き、そんなかんじやったな。それは自由やったけど、今、ぼくらが体験している非構成の質感とは区別されるものだなーという感じがしている。そんなことを体験していた。
小林:それもエンカウンターグループっていう?
森:っていうふうに言ってたと思うな。
小林:入りは同じだもんねー。座って「ご自由に」とか言うの?
森:そう。ご自由にどうぞ、から始まる感じやね。
でも、やっぱりカウンセリングの世界だったので、別にファシリテーターが直接治療するわけではないんだけど、なんか自分の問題を解決すると言う、モードで扱ってたような気がする。
その中で、くにちゃんのは、全然その感じがないっていうのがおもしろかったんやね。
小林:くにちゃんの、というのは小グループに分かれたときのこと?
森:くにちゃんが主催するやつ。「問題だって言うから問題になるんだー。」ってよう言ってたなーと思って。「問題だという方が問題だよ、問題ってどこにあるんだよ。」って(笑)
小林:そんな当時から言ってたんだ。
森:それがくにちゃんのいつものセリフやったんやね。
小林:いつものセリフ(笑)
森:うん。当時、問題を持ってると思って学生相談室にいくと「問題だと思うから問題なんじゃないの? 無いで、問題なんか。」とかよく言ってた。
一番最初はだから、不真面目なカウンセラーだなと思ったけど、本当にくにちゃんが作るエンカウンターの場は「ぜんぜん問題とかそういう枠組みで見なくていいんだ。」みたいな、そういうのを味わい続けたのが最初、学生から通い続けた時のぼくの感じ。
自分を見つめて、自分の問題を解くというよりも、一つ一つの僕の発言をくにちゃんがおもしろがってるのがすごい分かる。めっちゃおもしろがってる、っていうのが。
で、開く場の名前とかも「内なる真実への旅」ワークショップ」とか、なんかそんな名前でやってたこともあった。(笑)
今から思うと、くにちゃん流のシャレなんやろ、と思うけど、ぼく真面目な学生だったから「真実!これは見なければ!」と思って受けに行って、でも真実があるわけじゃなくって、気がついたら「あれ、ぼくってほんとは遊んでいいんだ。」って感じになったりしてた。
森: くにちゃんがやってた場もいろいろ名前は変わってて、20年前くらいには、カウンセリングワークショップという名前を使ってた。世の中としても、カウンセ リングワークショップと名前がつけば、いわゆる非構成のエンカウン ターグループのような場で始まる場だと言う感じだった。当時は、だいたい何十人かの大きなグループで始まんねんけど、ある程度の時間が過ぎると小グループ に分かれていく動きが起こんねん。
で、それぞれ「自由に小グループなりませんか」みたいな感じで動き出して、小部屋に小グループが生まれるみたいな感じだった。
で、それぞれは別にエンカウンターしているとも限らず、「我々は歌を歌いたいから歌う。」とか、「散歩したいから散歩グループだこれは。」とか、2泊3日自由に過ごすと、いうのがわりとメインな感じだった。
小林:何十人も!?
森:そうそう。カウンセリングワークショップといえばそんな感じで、始まりが非構成のスタイルで始まるので、ぼくの中で「非構成のエンカウンターグループってこれのことなんかいな。」みたいな感じも印象としては持っていた。
で、大学4年生のときに初めて行ったカウンセリングワークショップというかサマーセミナーは、まさにそんな感じだった。一時間も立たないうちに「こんなん どうにもならんやろ、分かれようよ不自由やし。」って言って小さいグループに分かれだして、どこかのグループは「今からこれやろう。」って、音楽を流して 瞑想、といっても、じっと座る瞑想じゃなくて動く瞑想というか、曲をどんどん流しだしたりしていた。
大学4年生で初めてそんな場に出くわして、「うわー、やばいとこに来た。なにこれー!?」と思ったのは覚えてる。笑
で、後で文献とか見てると、いわゆるカウンセリングワークショップって、最初大グループで自然に小グループに分かれていって、みたいな、そういうことなん だなーというのが分かってきて、ただ、ファシリテーターは指示をしないので、 自由に過ごしていいんだ、という、その自由に重きを置いていた感じがあるよね。
最初は大グループなんやけど、自由に自分たちの居場所をつくるみたいなのが最初の動き、そんなかんじやったな。それは自由やったけど、今、ぼくらが体験している非構成の質感とは区別されるものだなーという感じがしている。そんなことを体験していた。
小林:それもエンカウンターグループっていう?
森:っていうふうに言ってたと思うな。
小林:入りは同じだもんねー。座って「ご自由に」とか言うの?
森:そう。ご自由にどうぞ、から始まる感じやね。
でも、やっぱりカウンセリングの世界だったので、別にファシリテーターが直接治療するわけではないんだけど、なんか自分の問題を解決すると言う、モードで扱ってたような気がする。
その中で、くにちゃんのは、全然その感じがないっていうのがおもしろかったんやね。
小林:くにちゃんの、というのは小グループに分かれたときのこと?
森:くにちゃんが主催するやつ。「問題だって言うから問題になるんだー。」ってよう言ってたなーと思って。「問題だという方が問題だよ、問題ってどこにあるんだよ。」って(笑)
小林:そんな当時から言ってたんだ。
森:それがくにちゃんのいつものセリフやったんやね。
小林:いつものセリフ(笑)
森:うん。当時、問題を持ってると思って学生相談室にいくと「問題だと思うから問題なんじゃないの? 無いで、問題なんか。」とかよく言ってた。
一番最初はだから、不真面目なカウンセラーだなと思ったけど、本当にくにちゃんが作るエンカウンターの場は「ぜんぜん問題とかそういう枠組みで見なくていいんだ。」みたいな、そういうのを味わい続けたのが最初、学生から通い続けた時のぼくの感じ。
自分を見つめて、自分の問題を解くというよりも、一つ一つの僕の発言をくにちゃんがおもしろがってるのがすごい分かる。めっちゃおもしろがってる、っていうのが。
で、開く場の名前とかも「内なる真実への旅」ワークショップ」とか、なんかそんな名前でやってたこともあった。(笑)
今から思うと、くにちゃん流のシャレなんやろ、と思うけど、ぼく真面目な学生だったから「真実!これは見なければ!」と思って受けに行って、でも真実があるわけじゃなくって、気がついたら「あれ、ぼくってほんとは遊んでいいんだ。」って感じになったりしてた。
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