人間関係の問題は解決する必要はなく、ただ見ればいい

公開日: 2015-02-17 日記

ぼくらを動かしているのは意思じゃなく、
なんらかのメカニズムではないか、
と思うときもある。

パートナーとケンカする中で発見した事実の一つに、
ぼくがイライラするタイミングと、
パートナーが「じぶんはダメだ」「ごめんなさい」と
思うタイミングは寸分違わず一緒である、
ということがある。


これは、仏教用語でいうところの「相即」というらしい。
そう‐そく〔サウ‐〕【相即】
[名](スル)
    1 仏語。事物の働きが自在に助け合い融け合っていること。
    2 二つの物事が密接に関わり合っていること。「―する文化と言語」

そうそくふり【相即不離】
互いに密接に関連していて離れないこと。「―の関係」
(出典 goo 辞書)

これを、ぼくなりに理解すると、
「相対するお互いの関係で、即時に発動するメカニズム」
となるのだけれど、これを理解する前と後では、
物事の見え方はまったく違ったものになる。



どちらかが先に起こっている、と見れば、
一方がイライラするから、もう一方が「じぶんはダメだ」と
思うようになる、もしくはその逆という考え方になる。

この場合は、
イライラすることや、「じぶんはダメだ」と思うのは
問題となり、それを解決すればもう一方は起こらない。
なので、問題解決したくなる。

けれど、二つが同時に起こっているとすれば、
お互いの感情のスイッチが特定のシーンや出来事によって
カチッと入るようなイメージになる。

こうなると、ある特定の周波数に反応する音叉のように、
二人の間に共鳴する性質があるだけ、ということになる。


そして、この性質は、
イライラするのが情熱的に人と関われる裏返しだったり、
「じぶんはダメだ」と思うのが、
相手のことを思いやれることの裏返しだったりするように、
表裏一体となっている。

だから、悪い部分だけを変えたり、取り除こうとすると、
良かった性質まで変わってしまう。
というか、別の性質へと変化してしまう。

そもそも、人の性質はそんなに簡単に変化しないので
今の性質を問題にして変えようとしたり、
操作しようとするときには、苦しさが生まれる。

では、どうしたらいいのか、というと
ぼくらがどのように響きあっているのかを、
ただただ見ればいい。

お互いの間に突如発生する共鳴現象は、
多くの場合自覚されることはない。
だから、お互いに相手が原因だと思ったり、
じぶんが悪いと思うだけで終わってしまう。

けれど、その怒りや罪悪感は、
相即のメカニズムを持って、
お互いの性質が自動的に引き起こしていることだと
理解した途端にどこかへいってしまう。

直接、怒りや罪悪感をどうにかする必要はない。
不思議だけれど、本当に、ただただその現象を見ればいい。

最近パートナーとの間では
「今、じぶんのことダメだと思った?」
「今、イライラしてるでしょ?」

という会話が増えている。

気味が悪いくらい同時に感情が発生しているのが
可笑しくて笑ってしまう。

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