じぶんの文章を書くためのゼミ
公開日: 2015-02-02 企画の案内
▶日にち:3月29日(日)
▶時 間:13:00~16:00
▶時 間:スタジオCAVE(大阪市西区)
▶時 間:13:00~16:00
▶時 間:スタジオCAVE(大阪市西区)
▶内 容:10年以上、編集の仕事をしてきた大谷さんが、
どうやって読み、どうやって書いているのか、
話してもらうのを道しるべにしながら、
集まった人と「書く」「読む」「残す」ことを
探求していきます。
大谷さんが過去に手がけた文章を事例にして、
進めていく予定です。
事例は、キャラペイス(http://goo.gl/dJJI0e)のHPなど、
などが候補に挙がってますが、当日のお楽しみ。
どうやって読み、どうやって書いているのか、
話してもらうのを道しるべにしながら、
集まった人と「書く」「読む」「残す」ことを
探求していきます。
大谷さんが過去に手がけた文章を事例にして、
進めていく予定です。
事例は、キャラペイス(http://goo.gl/dJJI0e)のHPなど、
などが候補に挙がってますが、当日のお楽しみ。
▶主 催:大谷 隆、小林 健司
▶参加費:3500円
▶申込先:fenceworks2010■gmail.com(
■■■■■小林健司よりご案内■■■■■
=====
「じぶんの文章」を書くのは難しい。
じぶんの中にあるものや、見えている風景を
丁寧になぞって言葉にしていく。
たったこれだけのことなのに、
何時間も、何日も、一つの文章が書けないときもある。
「じぶんの文章」を書けるとうれしい。
ほんとうに手ごたえがあった文章は、
ときには十数回も読み返すことがある。
そんな文章は、人から反応をもらうこともあるけれど、
書けた時点でホクホクしてたまらなかったりする。
「じぶんの文章」を見られるのは怖い。
正直に、誠実に、じぶんの言葉を書いた文章は、
どんな風に読まれても、言い訳ができない。
だからこそ、読んだ結果が気持ちよくても悪くても、
ぼくと読み手の間には、何かが交流する。
=====
最近のぼくにとって、文章を書くことは
「じぶんの仕事」をするために重要な行為だ。
企画をするときの案内文を書くとき。
メールニュースの冒頭文を書くとき。
ブログを書くとき。
「なにもこんなに時間と手間をかけんでも・・」
とじぶんでも思うくらい大切にしている。
たぶん、目的や意味だけが伝わればいいのなら、
こんな風に、大切に、丁寧には書いていない。
目的や意味を達成するために書くなら、
より最短距離で達成できるように努力はできても、
書くこと自体を大切にすることは難しい。
最近まで、
そんな気持ちも少しは残っていたけれど、
密度の濃い「じぶんの文章」を書き出して、
周りの世界との関係が変わるのを体感してから
「書く」「読む」「残す」ということへの
じぶんの認識が入れ替わってしまった。
一緒にやる大谷さんは、
ぼくに「書く」「読む」「残す」ことの魅力や、
やったときの手ごたえ・感触を教えてくれた人。
と言っても、大谷さんがしてくれたのは、
ぼくの文章を読み、面白がってくれただけ。
でも、間違いなく、
ぼくは大谷さんを通して、
書くことの楽しさや面白さを知った。
大谷さんはこんなことをぼくに言ったことがある。
「けんちゃんの文章は面白い、
どこかに掲載する気にならないのなら、
ぼくにメールで送ってくれればいい。
だからとにかく書き続けて欲しい。」
ぼくより10歳も年上で、
編集の仕事を10年以上もしていて、
ぼくが読んだこともない専門書や小説や文献を読み、
たくさんの知識や考えを持っているはずなのに、
それらをすべて横に置き、ただの「大谷さん」として、
ぼくの書いた文章を見てくれている。
ぼくは、大谷さんほど読むことや書くことに
誠実に、丁寧に関わっている人を知らない。
大谷さんが最近やっている「講読ゼミ」
(http://goo.gl/PuyFGQ)は、
「書く」「読む」「残す」への
誠実さ、丁寧さから生まれたのだと思う。
そういえば、
「書くことは、読むことだ」
と、大谷さんが言っていた。
聞いたときも今も、ピンと来ているわけではないけど、
大谷さんの在り方を見ていると、
きっとそうなのだろう、と思う。
当日は、大谷さんが、
どうやって読み、どうやって書いているのか、
そんなことを道しるべにしながら、
集まった人と「書く」「読む」「残す」ことを
探求していきたい。
「じぶんの文章」を書くのは難しい。
じぶんの中にあるものや、見えている風景を
丁寧になぞって言葉にしていく。
たったこれだけのことなのに、
何時間も、何日も、一つの文章が書けないときもある。
「じぶんの文章」を書けるとうれしい。
ほんとうに手ごたえがあった文章は、
ときには十数回も読み返すことがある。
そんな文章は、人から反応をもらうこともあるけれど、
書けた時点でホクホクしてたまらなかったりする。
「じぶんの文章」を見られるのは怖い。
正直に、誠実に、じぶんの言葉を書いた文章は、
どんな風に読まれても、言い訳ができない。
だからこそ、読んだ結果が気持ちよくても悪くても、
ぼくと読み手の間には、何かが交流する。
=====
最近のぼくにとって、文章を書くことは
「じぶんの仕事」をするために重要な行為だ。
企画をするときの案内文を書くとき。
メールニュースの冒頭文を書くとき。
ブログを書くとき。
「なにもこんなに時間と手間をかけんでも・・」
とじぶんでも思うくらい大切にしている。
たぶん、目的や意味だけが伝わればいいのなら、
こんな風に、大切に、丁寧には書いていない。
目的や意味を達成するために書くなら、
より最短距離で達成できるように努力はできても、
書くこと自体を大切にすることは難しい。
最近まで、
そんな気持ちも少しは残っていたけれど、
密度の濃い「じぶんの文章」を書き出して、
周りの世界との関係が変わるのを体感してから
「書く」「読む」「残す」ということへの
じぶんの認識が入れ替わってしまった。
一緒にやる大谷さんは、
ぼくに「書く」「読む」「残す」ことの魅力や、
やったときの手ごたえ・感触を教えてくれた人。
と言っても、大谷さんがしてくれたのは、
ぼくの文章を読み、面白がってくれただけ。
でも、間違いなく、
ぼくは大谷さんを通して、
書くことの楽しさや面白さを知った。
大谷さんはこんなことをぼくに言ったことがある。
「けんちゃんの文章は面白い、
どこかに掲載する気にならないのなら、
ぼくにメールで送ってくれればいい。
だからとにかく書き続けて欲しい。」
ぼくより10歳も年上で、
編集の仕事を10年以上もしていて、
ぼくが読んだこともない専門書や小説や文献を読み、
たくさんの知識や考えを持っているはずなのに、
それらをすべて横に置き、ただの「大谷さん」として、
ぼくの書いた文章を見てくれている。
ぼくは、大谷さんほど読むことや書くことに
誠実に、丁寧に関わっている人を知らない。
大谷さんが最近やっている「講読ゼミ」
(http://goo.gl/PuyFGQ)は、
「書く」「読む」「残す」への
誠実さ、丁寧さから生まれたのだと思う。
そういえば、
「書くことは、読むことだ」
と、大谷さんが言っていた。
聞いたときも今も、ピンと来ているわけではないけど、
大谷さんの在り方を見ていると、
きっとそうなのだろう、と思う。
当日は、大谷さんが、
どうやって読み、どうやって書いているのか、
そんなことを道しるべにしながら、
集まった人と「書く」「読む」「残す」ことを
探求していきたい。
小林健司
0 件のコメント :
コメントを投稿