東京に続き、福島で円坐をしてきます
公開日: 2015-05-08 企画の案内
最近友だちになった福島・喜多方の佐川さんこと、
さがちゃんが書いた案内文が素敵だったので、
印刷をして、線を引きながら、何度も読み返してしまいま
そして、書き手の意思が確かに込められたその文章から、
会ったときには分からなかった彼女の姿を感じていました
怖さや難しさを感じながら、
あえて目的や意図を手放した場をつくろうとしていること
それは、何かを達成したり、実現するためではなく、
集まった人や、各々の言葉や存在を、
ただただ大切にしたいという想いから来ていること。
それらと、東日本大震災の体験がつながっていて、
彼女自身、身の危険を感じた自分を疑ってしまったこと。
でも人と言葉を交わすことで自分の感覚に触れなおせたこ
そんな全てを含めて、ぼくに声をかけてくれていたこと。
読み終わって浮かんできたのは、
ぼく自身が、自分の大切にしたい感覚を、
周りを気にして無かったことにしたり、
大したことじゃないと思い込んできた経験でした。
まぎれもなく感じた感覚だったはずなのに、
誰からも見向きもされず、本人のぼくでさえも目を背け、
この世界には無かったことにされてしまった自分の感覚。
本当に大切な自分はどこかに行ってしまって身体だけある
その場所にいるけれどいないような、なんともいえない感
そんなことを、なぜだか思いだしていました。
ぼくの場合、
そうやって疑った自分の感覚にもう一度触れ直せたのは、
何があっても僕のことを見て、聞いてくれる人の存在でし
たとえ、周りの全ての人が
「それはただの思い込みじゃないか」と言い、
本人でさえも「そうかもしれない。」と思ったとしても、
数ミリ程度のかすかな違和感を見つめ、
「それは本当にそうなのか?」「それでいいのか?」
という聞き受け方をしてくれる人がいてくれたとき、
僕でさえ出会えなかった自分にようやく出会えた気がしま
そして、そんな小さな小さな自分も含めた、
全ての自分と一緒にいながら、だれかと一緒にいられると
ぼくは、その人と「一緒にいたなぁ」と思うことができま
逆に、どんなに小さな違和感でも、それが積み重なりなが
だれもそのことに触れず、ただ空間を共にしているだけな
崇高な目的をもって集まり、たとえその目的を達成できて
ぼくは、その場にいる人と「一緒にいた」とは思えないで
円坐の守人として座るとき、
ぼくはその場にいる人と一緒にいたいと思っています。
「誰かと出会うなかで、自分自身に出会ってゆく。」
と、さがちゃんが言っていました。
その言葉を少し借りて言えば、
僕にとって円坐とは
「誰かと一緒にいることで、自分自身になっていく場」
なのかもしれません。
そのためにできることは、僕がしてもらったように
ただただ集まった人の声や言葉を聞くことだけだと思って
ぼくがそんな場を「つくる」とか、そんな場に「する」、
などということは全く言えず、
ただ、集まった方の言葉や、言葉にならない言葉、
流れる時間を聞き、その場にいる方の姿を身に刻む、
そんなことをさせていただきます。
ご縁に運ばれて、ご一緒できることを有り難く思います。
小林健司
以下案内文 ===========
みなさま
来月5月23日(土)- 5月24日(日)。
喜多方のシェアハウスあすぱらで、「喜多方の円坐」を開
当日は、参加された方と丸くなって座ります。
その場その時の、その方の居どころ次第で、
聞いても、語
目的や効果、意味は、円坐には特にありません。
「こういう風にしよう」の意図が手放された、なにも用意
各々の言葉や間でこの場が成り立ち、文字通りの一期一会
この場がこの場であるために、円坐守人(ファシリテータ
けんちゃんと出逢ったのはつい最近で、まだ分からない部
居住まいがほわほわっとしていて、やわらか。
相手の実感をきめ細やかに、密度濃く受け取るひと。
けんちゃんの印象として、そんな感じを私はもっています
場を受けとめて、言葉を聞き届けてくれるだろうと、信頼
円坐。
説明するのがなかなか難しい試みで、もどかしくも、怖く
この一時の坐にご一緒いただける方がいればうれしいです
佐川友美
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【円坐(非構成エンカウンターグループ)に
非構成エンカウンターグループは、数名の参加者とファシ
元はアメリカの臨床心理学者、カール・ロジャーズがつく
円坐は、長年それを実践されてきた橋本久仁彦さんによっ
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【プログラム概要】
◯5月23日(土)13:00 - 17:30 ※適宜、休憩をはさみながら行います。
特に震災をテーマにした円坐を行います。
4年経ったいま思うことや、あるいは座ったその時に思う
最初に30分ほど、佐川がけんちゃんにインタビューして
参加費:2,000円(当日現金でお支払いください)
定員:約10名
◯5月24日(日)10:00 - 16:00
※お昼休憩を12:00-13:00でとるほか、適宜休
特にテーマを設けず、円坐を行います。
持ち物:お弁当(ラーメン屋が近くにたくさんあるので、
参加費:3,500円(当日現金でお支払いください)
定員:約10名
【主催】佐川友美
【申し込み・問い合わせ先】slow.st.1231@
お名前と電話番号、ご希望の日付をおしらせください。
または、佐川と知己の方は、参加ボタンを押し、コメント
※車でお越しの方へ:
シェアハウスあすぱら隣の、まちづくりセンターの駐車場
※遠方からお越しの方へ
宿泊をご希望の方はお早めにご相談ください。
また、当会場は最寄駅の喜多方駅から歩くと30分ほどか
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【主催者 佐川友美より】
自分が経験した東日本大震災のことについて、
ほんの一部ですが、書いてみます。
私の実家は福島県いわき市にあるのですが、
そのとき私は東京で学生をしていました。
自分の住む東京のアパートの2階におり、
地震がきた時点で「これ、やばいやつだ」と勘がはたらき
テーブルの下に隠れました。
その揺れは、アパートにも身体にも、
ずどんと響いてくる重たさがありました。
これ建物崩れるか?と、身の危険を感じたものの、
揺れは次第に収まりました。
その後は用事のため外へ出たのですが、
いま思い返せばそのときの私は、
無意識にひとを探していたと思います。
いやーおっかなかったなー、とか、大丈夫だった?とか。
誰かと言い合い、聞き合いたかったんだと思います。
一人で抱えるのには少し手を持て余す、
その時の不安さをまず誰かと共有したかったのかもしれま
自分とすれ違う人を、横目でちらちらと見つつ歩きました
みんななに食わぬ顔をしているように見えました。
あれ、なんでもなかったの?
こんな経験したのって、もしかして自分だけ?
こんなパニックになるほどの地震でもなかった?
自分の感覚を多少疑いながら、
たまたま商店街のたい焼き屋に寄りました。
たい焼きを買い食いしつつ、店主と私、他のお客さんとで
やれ鍋をひっくり返しただの、やれ怖かっただの、
言い合って聞き合うことで、やっと。
ひと心地ついたような、安堵感を覚えました。
自分の口から出た言葉を聞いて、ようやく、
「あー私、怖かったんだなあ」とか。
「家族は大丈夫かな」とか。
その時感じていたことを、ほんとうに受け取ることができ
自分自身の感覚に対する疑心は、もう消えていました。
その後。
震災から4年経ち、そのとき起きたことは変わらずとも、
自分が震災に抱く気持ちは少しずつ変化してきたように思
思い出すことが、怖くて悲しいことから、
少しだけ懐かしさを伴ったものに変わったり、励まされる
でも、その気持ちを確かめてみたり、
どっぷり浸かってみたりできる場や機会が、
今はあまりないように思います。
私にとって大事なことは、一つには震災のこと。
そのことを語ったり、黙っていたりできる場が欲しい。
場を開くことは、まだ一人ではできそうにないから、
けんちゃんにも手伝ってもらって。
まず、自分のために場を開きます。
誰かと出会うなかで、自分自身に出会ってゆく。
ひとりだけで「ほんとうにそうなんだなあ」というところ
震災のたい焼きやでの経験は、それを教えてくれました。
その「ほんとうにそうなんだなあ」という感覚に、
私はもっと触れてみたいし、自分の中に取り戻してゆきた
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◎円坐守人 小林健司氏 プロフィール
小林健司 「人とお金の研究室」 代表
1982年生まれ。愛知県春日井市出身。
大学時代から大阪の教育系NPOで活動。
卒業後も含め約9年半、関西の小中学校を対象に、
企業や地域と学校をつないだ
教育プログラムの開発と実践に関わる。
2008年、橋本久仁彦氏の、ミニカウンセリングトレー
同士の開く場に惹かれ、円坐をはじめダンスとプレイバッ
2011年、京都にて東日本大震災の復興プロジェクトの
初期の復旧支援や関西と被災地のNPOをつないだ復興支
2012年独立。
複数の組織のプロジェクトに個人として関わる仕事スタイ
自ら円坐を主催したり、生きるうえで見つめたいテーマだ
2014年、フェンスワークスのスタッフとして活動を開
現在、円座やミニカウンセリングで学んだことを土台に、
「暮らし・仕事・組織・死ぬ・生きる」をテーマに活動し
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