~ 東京 東西円坐 ~

公開日: 2015-05-17 企画の案内

東京出張シリーズです

東京円坐を主催する 中尾 聡志さんと、東京で円坐を開きます。東京で円坐をするのは初めてなので楽しみです。

先日、自分で開いた円坐で体験したときに、なんとかそこで体験したことを残せないものかと思って短歌を作ってみました。

声を聞き ことばを聞いて 時を聞き
我が身の内に 面影が宿る

円坐でぼくが体験しているのはこれだけだなーと思っています。時間を設定して、開始の時刻と終わりの時刻を告げる。この時点で、円坐を開く坐主としての仕事はほとんど終わっていて、後は、そこで起こることにただただ、真摯に向き合っていくだけですが、起こること自体は僕には全く予想がつきません。

だから、ともすれば見逃してしまうようなその「起こり」を、ただ聞く、のがぼくが意識をもって「する」唯一のことなのだと思います。

「聞く」というと、何かを尋ねたり、質問したりするようなイメージもありますが、ここで言っている「聞く」は、ミヒャエル・エンデの「モモ」のように、ただ、じっと耳を澄ますような「聞く」こと。

「ことば」とは、文字通り人の話す言葉のことでもありますが、そうして発せられた声によって起こってくる「事」と「場」のこと。

そして、「モモ」がまさにそうしていたように、その場で起こることや、話されている事の意味を切り取るのではなく、時間まで含めた全てに耳を澄ます。

そうしたときに、それが温かいものであれ、身を切るようなものであれ、そこにいる人の姿、大胆に言えば生き様のようなものが、ぼくの中に刻まれます。

不思議なもので、そんなとき、ぼくの中にはフツフツとエネルギーが高まってきます。そして、その人の存在が自分の中に宿ったような気がして、それ以前よりイキイキとしてくるのを感じるのです。

それはまるで、これまで無かった色が、自分の中に鮮やかに生まれて、その色彩によってみるもの全てが新鮮に感じられるような、そんな感覚。

といっても、そんなことが「できる」としたらそれは神様のような人だと思うし、人でありながら、そんな大それた場を開こうとしていることに、毎回ドキドキもするのですが、もう一度、もう一度と、そんな場を開いております。

東京初円坐、楽しみです。

小林健司

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  ~ 東京 東西円坐 ~

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◎日程  2015年5月17日(日)10時30分~19時00分

 セッション① 10:30~13:00
 セッション② 14:00~16:30
 セッション③ 17:00~19:30

 (昼食は各自でご用意ください。近くにサミットがあります。
  外食できるお店は近くにはあまり多くありません。
  会場には、キッチンとレンジがあります。)

◎会場  コミュニティガーデン「たぬき村」 3Dスペース
      http://www.makubito.com/tanukimura.html
      〒157-0073 東京都世田谷区砧2-11-14-3A
      電車:小田急線千歳船橋駅徒歩10分
      バス:東急バス田園調布行き 実相寺前下車徒歩3分

◎参加費 6000円

◎定員10名程度

◎申込・問い合わせ先:E-mail ordinaryworld0420■gmail.com
  (■を@に変換してご利用ください) 

◎主催・世話人:中尾聡志・小林健司
※円坐の守人は、当日どちらが行うかを決めます。

【中尾聡志よりご案内】

大阪からの友人を招いて開く「東京 東西円坐」。
今回一緒に坐ってくれるけんちゃんこと小林健司さんは、
大阪を中心に、円坐や様々な場をひらいている人。

今年2月に妻と二人で大阪に行ったときに、
一週間も家に泊めてくれた恩人でもあります。
その前にまだ一度しか会って無かったにもかかわらず。

けんちゃんとはとにかく類似点が多い。
円坐やお金の場をひらいていることや、
きくことに関心があること。
今までの人生を辿ってきた道も、
かなり近いものがあったし、
持ってる本も似ていた。
さらに大阪で一週間過ごしてみて、
考え方や気になるポイント、笑いのツボや、
お互いの奥さんのイラっとくる言動まで似ていた。

、、、いや、ここまで書いてみて、今感じていること。

さすがにここまで似ていると、
ちょっと気持ちがわるい。

もともとは、考え方が似ているので、
自分のことを分かってくれるよき理解者として、
心強いというようなことを書こうと思っていた。

実際に、ぼくが人との会話で押され気味だったときに、
「サトシの気持ち、分かるな」と言ってくれて、
助かった記憶がある。

でも、「似ている」というのはとりあえずの結果であって
もしくは、今確認できていることに限ってのことであって
気を付けないと、自分で付けた「似ている」という
ラベリングで、今あるものを見失う危険がありそうだ。

けんちゃんは自分の気持ちにとても敏感な人だ。
きっと僕がラベリングの世界に行って視力を失ったときには、
すぐそこに切り込んで来てくれるだろう。

そういう意味で、やっぱりけんちゃんは心強い人である。
真剣に相対したいと思わせてくれる人の有難さ。

大阪から来てくれる彼とともに、円坐をひらきます。
よろしければ、ご一緒ください。

中尾聡志
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