ぼくの東京物語 その17 四日目から六日目

公開日: 2015-06-25 ぼくの東京物語

東京福島にいったときのことを小説風に綴っています。
円坐のような質感を文字で表す実験でもあります。

前回までの記事
その1 深夜バス
その2 聡志とじゅんちゃん
その3 東京
その4 わーさんとかよちゃん
その5 テレビを「持たない」人のダイアログサークル
その6 夜の帰り道
その7 聡志とじゅんちゃんの家の朝
その8 夫婦サミット
その9 影舞 
その10 メキシコ料理店 
その11 たぬき村 
その12 円坐と橋本久仁彦さん 
その13 東京 東西円坐
その14 東京 東西円坐 朝
その15 東京 東西円坐 午後
その16 四日目の朝
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ところで、これを書いているのは2015年6月23日。東京に行ってから1ヶ月半が経った。最初は記憶が新しいうちに書かなくては、と思っていたけれど、東京で会った人、見たもの、起こったことは、しっかりとぼくの中に刻まれていて、1週間経っても、2週間経っても真新しくぼくの中に残りつづけた。

ところが最近は、新しさが無くなって来てしまった。もちろん、風景やセリフなど刻まれた物はぼくの中に残っているのだけれど、大阪に戻ってからの日々も東京と同じように新鮮な出来事の連続で、その中に刻まれた跡が埋もれてしまった。もう以前ほど、目の前にその景色が映っているようには東京の風景は見えず、4日目あたりからは埋もれた刻みの跡を掘りだしながら書いていた。

掘りだした刻みは一部しか見えず、文章にするために掘り返していくのだけれど、どこまで掘っても今になっては刻みの全てを視界に入れることはできないみたいだった。

頭では、これからがほんとうに面白くなるところだと分かっていて、昨日の続きには、聡志の母ちゃんにご飯のお礼に影舞を披露して、亡くなったお兄さんの話を聞かせてもらうシーンが続いていく。これはぜひとも細かく書いてみたいことだった。

翌日からの3連続の「お金シリーズ」も面白かった。ゼミでは、聡志の友人とぼくが力を込めて切り結んだ瞬間があった。はっきりと、くっきりと存在するその友人の姿に応える形で、ぼく自身も輪郭を示し、そのことによってその友人と接触した刻みはぼくの中に残りつづけている。

聡志がぼくをゲストに迎えてくれた「お金のダイアログサークル」では、生まれて初めて1時間近く自分のことを話し続けた。聡志が本当に丁寧に、自分とぼくをみながら聞いてくれるおかげで、思ってもいないような話が自分から次々と飛び出してきて、夢中になって話しつづけていた。

最終日、「お金の円坐」では、話す人を決めるのに1時間半も揉めた。前日が順風満帆だっただけに完全に油断していたのだけれど、二人いた話をしたい人のどちらにするのか、二人の言い分を聞いて決めるプロセスをたどっていくのは命がけだった。

そして、どの日も、集まった人たちと終電近くまで飲み食いしながら話をしていた。

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