ぼくの東京物語 その18(最終回) 東京の夜
公開日: 2015-06-26 ぼくの東京物語
東京福島にいったときのことを小説風に綴っています。
でも、福島には辿り着きませんでした。(笑)
今回で最後になります。
全て読んでいただいた方、 ありがとうございました。
前回までの記事
その1 深夜バス
その2 聡志とじゅんちゃん
その3 東京
その4 わーさんとかよちゃん
その5 テレビを「持たない」人のダイアログサークル
その6 夜の帰り道
その7 聡志とじゅんちゃんの家の朝
その8 夫婦サミット
その9 影舞
その10 メキシコ料理店
その11 たぬき村
その12 円坐と橋本久仁彦さん
その13 東京 東西円坐
その14 東京 東西円坐 朝
その15 東京 東西円坐 午後
その16 四日目の朝
その17 四日目から六日目
=====
そうそう、最終日に聡志とじゅんちゃんの家について、話もさめやらない中でお互いにおくりあった影舞の時間は本当にきれいだった。
そういえば、これが書きたくて書きはじめた気がする。
きっかけは夫婦サミットが終わった後に、ぼくが「最終日にお互いに影舞を送りあわないか?」と提案したことだった。全員一致で「やろう」ということになり、最終日までに送りたい曲を選んでおくことになっていた。
東京に来てから、毎日・毎晩開いてきた催しの最後の一つが終わったばかり。その日やった「お金の円坐」は、誰も予想しなかったような波乱の幕開けで、ぼくは全力を尽くしてその時間を過ごした、今も心の底から怖いことへ立ち向かったヒリヒリとした感覚や、もうだめかもしれない、という中でそれでも自分の感覚をブラさずに居続けた感覚が身体に生々しく残っている。
ついさっきまで、そんな場を一緒に過ごしたたち人と、東京に来てから何度も行ったイタリア料理のチェーン店で心なしかいつもより賑やかに飲み食いをして、晴れ晴れとした気持ちで参加者が駅の改札の中に入っていくのを見送っていた。いつも通っていた緑の多くて道が広い帰り道は、興奮覚めやらずに夢中で話をしながら歩いてきたからどんな景色だったのか覚えていない。
帰り道のコンビニで珍しく追加の飲み物を買って、この頃には中に入るとほっとするようになってきていた聡志とじゅんちゃんの家に辿りつく。最後の一日が終わったことの慰労とお祝い。それぞれの胸の中に残っていること。そもそもここに至るまでの不思議な過程のこと。とめどなく話が湧いてくる。間違いなく今、ここにいることを、その場にいる4人全員が満足していた。満足しきっていた。このままいつまでも話していられそうだった。
夜は更けていく。終わりの時間が近づいていた。誰かが「影舞をしよう」と声をだす。心待ちにしていた時間ではある。どんなものが見えるのか、どんな景色が広がるのか、早く見てみたい気持ちもある。けれど、それは、本当にこの4人の時間が終わるということでもあった。
4人で、少しモノを片付けて舞台を作る。いつも集まっていた和室の部屋に、イスの積み木を4つ並べて置いて場所を仕切っただけの簡単な舞台。
準備が整って、最初にぼくたちから影舞をする。両端から舞台に入っていき、聡志とじゅんちゃんが見ている方を向いて正座をする。
二人で息を合わせてゆっくりとお辞儀をする。開放感から少し飲み過ぎたせいで、酔いがかなり回っているのを感じながら頭をゆっくりとあげる。
今度は二人で向き合ってお辞儀をする。
お互いの片膝を立てて手を差し出す。ゆっくりと手が近づいていく、触れるか触れないかのところで緊張感が高まっていくのを感じる。
手が触れて、影舞が始まる。
音が鳴り止んで、再び二人にお辞儀をする。二人はどんな心境で見ていたのだろう。
聡志とじゅんちゃんの番になって、聡志が即興で弾いた曲を流そうと思っている、と二人が言う。昨日の昼間に少し時間があったので、弾いた曲を録音していたらしい。そして、影舞が始まる。
外には東京を象徴するようなビルが遠くにいくつか並んでいるのが見える。ベランダの植物たちが風に揺れている。近くに敷き詰められるように立ち並んでいる戸建ての家は寝静まって静かに佇んでいた。その上に月が淡い光を放ちながら浮かんでいる。
東京に来るバスのこと。この6日間の日々。聡志とじゅんちゃんが大阪に来たときのこと。ぼくたちが出会った岐阜のこと。そして、今東京のこの場所で見えるもの全て、全てのことが今この瞬間に一つになってぼくらを取り巻いていて、その景色があまりにきれいで、ぼくは、ずっとこの時間が続けばいいのに、と思っていた。
曲が終わる。
そしてぼくたちの東京の日々も終わりを迎えた。
追記
聡志が作ってくれたその曲をここに紹介します。
書き終えたとき、相方のなっちゃんが「この物語は聡志の作った曲への応答みたいだね」と言いました。その通りだなと思います。よろしければ、影舞のシーンなんかは、この曲をBGMにしてお聞き下さいませ(笑)
でも、福島には辿り着きませんでした。(笑)
今回で最後になります。
全て読んでいただいた方、 ありがとうございました。
前回までの記事
その1 深夜バス
その2 聡志とじゅんちゃん
その3 東京
その4 わーさんとかよちゃん
その5 テレビを「持たない」人のダイアログサークル
その6 夜の帰り道
その7 聡志とじゅんちゃんの家の朝
その8 夫婦サミット
その9 影舞
その10 メキシコ料理店
その11 たぬき村
その12 円坐と橋本久仁彦さん
その13 東京 東西円坐
その14 東京 東西円坐 朝
その15 東京 東西円坐 午後
その16 四日目の朝
その17 四日目から六日目
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そうそう、最終日に聡志とじゅんちゃんの家について、話もさめやらない中でお互いにおくりあった影舞の時間は本当にきれいだった。
そういえば、これが書きたくて書きはじめた気がする。
きっかけは夫婦サミットが終わった後に、ぼくが「最終日にお互いに影舞を送りあわないか?」と提案したことだった。全員一致で「やろう」ということになり、最終日までに送りたい曲を選んでおくことになっていた。
東京に来てから、毎日・毎晩開いてきた催しの最後の一つが終わったばかり。その日やった「お金の円坐」は、誰も予想しなかったような波乱の幕開けで、ぼくは全力を尽くしてその時間を過ごした、今も心の底から怖いことへ立ち向かったヒリヒリとした感覚や、もうだめかもしれない、という中でそれでも自分の感覚をブラさずに居続けた感覚が身体に生々しく残っている。
ついさっきまで、そんな場を一緒に過ごしたたち人と、東京に来てから何度も行ったイタリア料理のチェーン店で心なしかいつもより賑やかに飲み食いをして、晴れ晴れとした気持ちで参加者が駅の改札の中に入っていくのを見送っていた。いつも通っていた緑の多くて道が広い帰り道は、興奮覚めやらずに夢中で話をしながら歩いてきたからどんな景色だったのか覚えていない。
帰り道のコンビニで珍しく追加の飲み物を買って、この頃には中に入るとほっとするようになってきていた聡志とじゅんちゃんの家に辿りつく。最後の一日が終わったことの慰労とお祝い。それぞれの胸の中に残っていること。そもそもここに至るまでの不思議な過程のこと。とめどなく話が湧いてくる。間違いなく今、ここにいることを、その場にいる4人全員が満足していた。満足しきっていた。このままいつまでも話していられそうだった。
夜は更けていく。終わりの時間が近づいていた。誰かが「影舞をしよう」と声をだす。心待ちにしていた時間ではある。どんなものが見えるのか、どんな景色が広がるのか、早く見てみたい気持ちもある。けれど、それは、本当にこの4人の時間が終わるということでもあった。
4人で、少しモノを片付けて舞台を作る。いつも集まっていた和室の部屋に、イスの積み木を4つ並べて置いて場所を仕切っただけの簡単な舞台。
準備が整って、最初にぼくたちから影舞をする。両端から舞台に入っていき、聡志とじゅんちゃんが見ている方を向いて正座をする。
二人で息を合わせてゆっくりとお辞儀をする。開放感から少し飲み過ぎたせいで、酔いがかなり回っているのを感じながら頭をゆっくりとあげる。
今度は二人で向き合ってお辞儀をする。
お互いの片膝を立てて手を差し出す。ゆっくりと手が近づいていく、触れるか触れないかのところで緊張感が高まっていくのを感じる。
手が触れて、影舞が始まる。
音が鳴り止んで、再び二人にお辞儀をする。二人はどんな心境で見ていたのだろう。
聡志とじゅんちゃんの番になって、聡志が即興で弾いた曲を流そうと思っている、と二人が言う。昨日の昼間に少し時間があったので、弾いた曲を録音していたらしい。そして、影舞が始まる。
外には東京を象徴するようなビルが遠くにいくつか並んでいるのが見える。ベランダの植物たちが風に揺れている。近くに敷き詰められるように立ち並んでいる戸建ての家は寝静まって静かに佇んでいた。その上に月が淡い光を放ちながら浮かんでいる。
東京に来るバスのこと。この6日間の日々。聡志とじゅんちゃんが大阪に来たときのこと。ぼくたちが出会った岐阜のこと。そして、今東京のこの場所で見えるもの全て、全てのことが今この瞬間に一つになってぼくらを取り巻いていて、その景色があまりにきれいで、ぼくは、ずっとこの時間が続けばいいのに、と思っていた。
曲が終わる。
そしてぼくたちの東京の日々も終わりを迎えた。
追記
聡志が作ってくれたその曲をここに紹介します。
書き終えたとき、相方のなっちゃんが「この物語は聡志の作った曲への応答みたいだね」と言いました。その通りだなと思います。よろしければ、影舞のシーンなんかは、この曲をBGMにしてお聞き下さいませ(笑)
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