逢坂 洞窟円坐
公開日: 2015-08-01 企画の案内
1月から、3、4回ずつ連続で開いている一日ものの円坐、
秋から冬に向けてのご案内です。
円坐についてこれまでに書いた文章はこちらに載っています。
http://goo.gl/vaZYn2
エンカウンターグループとの違いなどに
言及している文章もありますので、興味がある方は、
参考までにご覧ください。
=======
◯日にち 8月22日(土)
9月27日(日)
10月18日(日)
11月22日(日)
12月6日(日)
◯時 間:10:30~18:30
セッション1 10時30分〜12時30分
昼食 12時30分〜13時30分
セッション2 13時30分〜15時30分
休憩 15時30分〜16時00分
セッション3 16時00分〜18時30分
◯守人(ファシリテーター):小林健司
◯場 所:スタジオCAVE(大阪市西区)
◯参加費:各回4000円
(前回までの円坐に参加したことがある方は各回3500円)
◯申込先:fenceworks2010■gmail.com(■を@に変換してご利用ください)
=======
大学生の頃「ファシリテーション」に出会ったぼくは、
人が話しあうための方法や技術に衝撃を受けて、
夢中になって「場のつくり方」を学んだ。
5、6年後、学んだことを実践する中で、
「非構成」の場に興味を持ったぼくは、
時を同じくして円坐という言葉に出会った。
それから6、7年。
いろんな人が開く円坐に行き、いくつも円坐を開いてきた今、
円坐で学んだ「場のつくり方」はあったのだろうか?
とじぶんに問いを立ててみる。
全く話を聞かない人が開いたら、
どうしようもない場になることもあるだろうから、
開く人の態度とか考え方とか、
そういう意味での「円坐の場のつくり方」はある、、、
と言いかけて、「待てよ」と思う。
たとえその場が最低最悪で、誰からも評価されなくても、
そのようにしかできなかったのであれば、
例えばその人に何か意見をするとして、
一体ぼくはどんな立場に立ってそれを言うのだろう?
「ここはこうした方が良かったですね。」
「もっと人のことをこんな風に見た方がいいですよ。」
そんな意見を言って受け入れられたとして、
できるようになるのは、その人の円坐ではなく、
ぼくの円坐のコピーにもならない、へんてこな場だ。
開いた場がどうなるのかを引き受けることは、
開いた人にしかできない。
そして、ぼくはどうしようもなくぼくであり、
ほかの人になることはできない。
「場のつくり方」とも言えないようなことだけど、
ぼくが円坐で学んだことは、そんな単純明快な事実で、
それに気づくと、「どうしようもない場」を開いた人に
ぼくが言おうとしたことは、そのまま自分に突き刺さる。
たとえばぼくが開いた場がどうしようもない場で、
何もかもを変えた方がいいとアドバイスをされても、
そのようにしかできないぼくがいるのなら、
どうしようもないぼくとして生きていくしかない。
全身がうち震えるような怖さを感じつつ、
しかしここでまた世界はひっくり返り、
ぼくが学んだいかなるファシリテーションの技術や方法でも、
全身で自分自身の人生を感じられるような、
新鮮で生き生きと血の通った時間を作りだすことは
不可能だったように思うのです。
大阪ドームのすぐ近く、洞窟という名をつけられたスタジオCAVEにて、
年末までの5回、一つ、また一つと、円坐を開いていきます。
小林健司
秋から冬に向けてのご案内です。
円坐についてこれまでに書いた文章はこちらに載っています。
http://goo.gl/vaZYn2
エンカウンターグループとの違いなどに
言及している文章もありますので、興味がある方は、
参考までにご覧ください。
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◯日にち 8月22日(土)
9月27日(日)
10月18日(日)
11月22日(日)
12月6日(日)
◯時 間:10:30~18:30
セッション1 10時30分〜12時30分
昼食 12時30分〜13時30分
セッション2 13時30分〜15時30分
休憩 15時30分〜16時00分
セッション3 16時00分〜18時30分
◯守人(ファシリテーター):小林健司
◯場 所:スタジオCAVE(大阪市西区)
◯参加費:各回4000円
(前回までの円坐に参加したことがある方は各回3500円)
◯申込先:fenceworks2010■gmail.com(■を@に変換してご利用ください)
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大学生の頃「ファシリテーション」に出会ったぼくは、
人が話しあうための方法や技術に衝撃を受けて、
夢中になって「場のつくり方」を学んだ。
5、6年後、学んだことを実践する中で、
「非構成」の場に興味を持ったぼくは、
時を同じくして円坐という言葉に出会った。
それから6、7年。
いろんな人が開く円坐に行き、いくつも円坐を開いてきた今、
円坐で学んだ「場のつくり方」はあったのだろうか?
とじぶんに問いを立ててみる。
全く話を聞かない人が開いたら、
どうしようもない場になることもあるだろうから、
開く人の態度とか考え方とか、
そういう意味での「円坐の場のつくり方」はある、、、
と言いかけて、「待てよ」と思う。
たとえその場が最低最悪で、誰からも評価されなくても、
そのようにしかできなかったのであれば、
例えばその人に何か意見をするとして、
一体ぼくはどんな立場に立ってそれを言うのだろう?
「ここはこうした方が良かったですね。」
「もっと人のことをこんな風に見た方がいいですよ。」
そんな意見を言って受け入れられたとして、
できるようになるのは、その人の円坐ではなく、
ぼくの円坐のコピーにもならない、へんてこな場だ。
開いた場がどうなるのかを引き受けることは、
開いた人にしかできない。
そして、ぼくはどうしようもなくぼくであり、
ほかの人になることはできない。
「場のつくり方」とも言えないようなことだけど、
ぼくが円坐で学んだことは、そんな単純明快な事実で、
それに気づくと、「どうしようもない場」を開いた人に
ぼくが言おうとしたことは、そのまま自分に突き刺さる。
たとえばぼくが開いた場がどうしようもない場で、
何もかもを変えた方がいいとアドバイスをされても、
そのようにしかできないぼくがいるのなら、
どうしようもないぼくとして生きていくしかない。
全身がうち震えるような怖さを感じつつ、
しかしここでまた世界はひっくり返り、
ぼくが学んだいかなるファシリテーションの技術や方法でも、
全身で自分自身の人生を感じられるような、
新鮮で生き生きと血の通った時間を作りだすことは
不可能だったように思うのです。
大阪ドームのすぐ近く、洞窟という名をつけられたスタジオCAVEにて、
年末までの5回、一つ、また一つと、円坐を開いていきます。
小林健司
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