15分の言葉の景色を見る講座を開催します
人と人が話をしているときに起こっていることを景色として見ていく講座です。
山根澪さんとすずきりょうさんに機会をいただき初開催です。
澪ちゃんが書いてくれている
=====
誰かに話を聞かれること、
人の話を聞こうとすることと、
自分の声に耳をかたむけることは、
今の私にとっては分かちがたくある。
=====
という言葉は、聞くことと話すことの本質をえぐっていると思う。
ぼくが誰かの話を真剣に聞きたいと思うときの体感をイメージして浮かぶのは、川の急流を沢登りしていくとき、勢い良く流れる水の流れが自分の体に当たりながら流れを変えて流れていくようなそんなシーンです。そこでは、ぼくと流れ(言葉)は一体となっていて、ぼくの動きが流れを作り、流れの勢いやしぶきの一つ一つがぼくの動きを作り出す、そんなふうに分かちがたく結びついています。
澪ちゃんの案内で、ぼくが「聞く」ことの影響が浸透圧のように染み渡ってきた、という表現がされていますが、こんなふうに見てみると、ぼくも同時に澪ちゃんの影響を受けることからは免れることができるはずもなく、お互い様なことがよくわかります。
録音をして逐語録を起こすことで、その水の流れやしぶきのはね方がスロー再生のようによく見えるけれど、肉眼ではそれをとらえることは不可能で、でもそうしたミクロの動きを見ていると流れが少し違って見えてきたりします。
そんな景色を見る講座。よろしければお越しください。
以下、山根澪さんにつくってもらった案内文です。
========
まるネコ堂にて小林健司さんを講師に、
「15分の言葉の景色を見る講座」を開催します。
二人の人が話す15分間の記録を見ていきます。
そこから見えてくる言葉の景色。
いったいどんなものなのか。
ドキドキと楽しみに、開催します。
※2016年2月6日 前口上をちょっと修正
=============
「15分の言葉の景色を見る講座」
▶日にち:2016年2月27日(土)
▶時 間:13:00~17:00
▶内 容:聞くこと、話すことを探求してきた小林健司さんの視界をかりながら、
15分間話をした録音とそれを文字に起こした逐語録を通して、
話す、聞くということを見ていきます。
今回は、主催の山根、鈴木のふたりの15分の記録を読み解きます。
▶場 所:まるネコ堂(京都府宇治市五ケ庄広岡谷2-167)
▶アクセス:JR奈良線・京阪宇治線「黄檗(おうばく)駅」から
徒歩15分ほど。坂道を登ります。迷いやすいです。
http://marunekodoblog.blogspot.jp/p/blog-page_14.html
▶講 師:小林 健司
▶主 催:小林 健司、鈴木 陵、山根 澪
▶参加費:3500円
▶定 員:6名
▶申込先:mio.yamane@gmail.com (山根澪)
注意:猫がいます。会場には入れませんが普段は出入りしています。
アレルギーの方はご注意ください。
(小林健司さんについて)
「小林健司のブログ」に聞くこと、話すこと、言語の探究から暮らしまで、
小林健司さんの考えていることが詰まっています。是非御覧ください。
http://hitotookane.blogspot.jp/
※聞く・話すに関しては、記事一覧より特に
「円坐・エンカウンターグループ」「きく」「仕事」のカテゴリーがおすすめです。
=====
【山根澪よりご案内】
話を聞く人に出会い。
本当に聞いてると思う瞬間に出会い。
そのことに触発されてか、
わたしも話を聞きたいと思う気持が度々起こってきた。
本当に聞かれていると思うとき、
わたしが聞きたいと思うとき、
そのときにあったのは自分の声を聞くということだった。
誰かに話を聞かれること、
人の話を聞こうとすることと、
自分の声に耳をかたむけることは、
今の私にとっては分かちがたくある。
聞かれているときに、
まだ判然としないが自分の感じているものを
なんとか発掘して言葉にまで取り出したくなる。
そのとき心のうちで起こる声を逃さずに聞こうとしている。
誰かの話を聞きたいと思うとき、
その話によって起こる、苦しいとか、嬉しいとか、わからないとか、
そういった自分の感情に目を向け続けようとしている。
そうやって自分の声を聞き続けたときに、フッと転じて、
話したい、
いや気づいたら話しているというようなことが起こる。
15分のわたしが話した記録は、
すでにちょっと他人のような自分の声で、
これをけんちゃんこと小林健司さんや、
集まった方々と見ていくことは、
どこに行くのかわからない、緊張したヒリヒリとした気持になります。
そして15分間のわたしが聞いた記録は、
実際のわたしの聞くということは、
どのようなことを起こしているのか見ていくことになるのだろうと思います。
けんちゃんは聞くということに目を向け続け、仕事をしている人で、
わたしに「聞く」ということを意識させた人です。
それは、けんちゃんの「聞く」姿勢に衝撃を受けたというものとは程遠く、
何年かかけてその存在が、「聞く」ことの影響が、
浸透圧みたいに染み渡ってきたという感覚です。
今、こうやってわたしが自分の声を聞こうとしていることは
その染み渡りなんだと思ってます。
そんなけんちゃんがどのように人の話す、聞くを見ているのか
私はとても興味があります。
聞くこと、話すことをじっくりと見ていく旅を、
よろしければご一緒しましょう。
山根澪
山根澪さんとすずきりょうさんに機会をいただき初開催です。
澪ちゃんが書いてくれている
=====
誰かに話を聞かれること、
人の話を聞こうとすることと、
自分の声に耳をかたむけることは、
今の私にとっては分かちがたくある。
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という言葉は、聞くことと話すことの本質をえぐっていると思う。
ぼくが誰かの話を真剣に聞きたいと思うときの体感をイメージして浮かぶのは、川の急流を沢登りしていくとき、勢い良く流れる水の流れが自分の体に当たりながら流れを変えて流れていくようなそんなシーンです。そこでは、ぼくと流れ(言葉)は一体となっていて、ぼくの動きが流れを作り、流れの勢いやしぶきの一つ一つがぼくの動きを作り出す、そんなふうに分かちがたく結びついています。
澪ちゃんの案内で、ぼくが「聞く」ことの影響が浸透圧のように染み渡ってきた、という表現がされていますが、こんなふうに見てみると、ぼくも同時に澪ちゃんの影響を受けることからは免れることができるはずもなく、お互い様なことがよくわかります。
録音をして逐語録を起こすことで、その水の流れやしぶきのはね方がスロー再生のようによく見えるけれど、肉眼ではそれをとらえることは不可能で、でもそうしたミクロの動きを見ていると流れが少し違って見えてきたりします。
そんな景色を見る講座。よろしければお越しください。
以下、山根澪さんにつくってもらった案内文です。
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「15分の言葉の景色を見る講座」
「15分の言葉の景色を見る講座」を開催します。
二人の人が話す15分間の記録を見ていきます。
そこから見えてくる言葉の景色。
いったいどんなものなのか。
ドキドキと楽しみに、開催します。
※2016年2月6日 前口上をちょっと修正
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「15分の言葉の景色を見る講座」
▶日にち:2016年2月27日(土)
▶時 間:13:00~17:00
▶内 容:聞くこと、話すことを探求してきた小林健司さんの視界をかりながら、
15分間話をした録音とそれを文字に起こした逐語録を通して、
話す、聞くということを見ていきます。
今回は、主催の山根、鈴木のふたりの15分の記録を読み解きます。
▶場 所:まるネコ堂(京都府宇治市五ケ庄広岡谷2-167)
▶アクセス:JR奈良線・京阪宇治線「黄檗(おうばく)駅」から
徒歩15分ほど。坂道を登ります。迷いやすいです。
http://marunekodoblog.blogspot.jp/p/blog-page_14.html
▶講 師:小林 健司
▶主 催:小林 健司、鈴木 陵、山根 澪
▶参加費:3500円
▶定 員:6名
▶申込先:mio.yamane@gmail.com (山根澪)
注意:猫がいます。会場には入れませんが普段は出入りしています。
アレルギーの方はご注意ください。
(小林健司さんについて)
「小林健司のブログ」に聞くこと、話すこと、言語の探究から暮らしまで、
小林健司さんの考えていることが詰まっています。是非御覧ください。
http://hitotookane.blogspot.jp/
※聞く・話すに関しては、記事一覧より特に
「円坐・エンカウンターグループ」「きく」「仕事」のカテゴリーがおすすめです。
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【山根澪よりご案内】
話を聞く人に出会い。
本当に聞いてると思う瞬間に出会い。
そのことに触発されてか、
わたしも話を聞きたいと思う気持が度々起こってきた。
本当に聞かれていると思うとき、
わたしが聞きたいと思うとき、
そのときにあったのは自分の声を聞くということだった。
誰かに話を聞かれること、
人の話を聞こうとすることと、
自分の声に耳をかたむけることは、
今の私にとっては分かちがたくある。
聞かれているときに、
まだ判然としないが自分の感じているものを
なんとか発掘して言葉にまで取り出したくなる。
そのとき心のうちで起こる声を逃さずに聞こうとしている。
誰かの話を聞きたいと思うとき、
その話によって起こる、苦しいとか、嬉しいとか、わからないとか、
そういった自分の感情に目を向け続けようとしている。
そうやって自分の声を聞き続けたときに、フッと転じて、
話したい、
いや気づいたら話しているというようなことが起こる。
15分のわたしが話した記録は、
すでにちょっと他人のような自分の声で、
これをけんちゃんこと小林健司さんや、
集まった方々と見ていくことは、
どこに行くのかわからない、緊張したヒリヒリとした気持になります。
そして15分間のわたしが聞いた記録は、
実際のわたしの聞くということは、
どのようなことを起こしているのか見ていくことになるのだろうと思います。
けんちゃんは聞くということに目を向け続け、仕事をしている人で、
わたしに「聞く」ということを意識させた人です。
それは、けんちゃんの「聞く」姿勢に衝撃を受けたというものとは程遠く、
何年かかけてその存在が、「聞く」ことの影響が、
浸透圧みたいに染み渡ってきたという感覚です。
今、こうやってわたしが自分の声を聞こうとしていることは
その染み渡りなんだと思ってます。
そんなけんちゃんがどのように人の話す、聞くを見ているのか
私はとても興味があります。
聞くこと、話すことをじっくりと見ていく旅を、
よろしければご一緒しましょう。
山根澪
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