「おもひでぽろぽろ」感想 その2 凛としたおばあちゃん

公開日: 2015-12-01 映画 日記

なんとなく田舎っぽい写真。

その1 無口なお父さん はこちら




主人公のタエ子は、親戚の田舎に行く途中から、自分の小学校時代のことを何度も何度も思いだす。そして、子どもの頃に行けなかった「田舎」を満喫し、またふと子どもの頃を思いだしたりしながら充実した余暇を過ごす。

でも東京に戻る前夜、おばあちゃんがタエ子に話を切りだすと世界は一変する。それまでほとんど話すシーンのなかったおばあちゃんは、突然「トシオの嫁に来てここで暮らさないか」とタエ子に迫る。おじちゃんもおばちゃんも、「そんなことを言ってもタエ子ちゃんが困るだけでねーか」といいながら慌てる。けれど、おばあちゃんはひるまずにタエ子を見つめつづける。



タエ子は「自分が田舎のことを何も知らずに自然を褒めたり、その土地で暮らす覚悟もできていないことを見すかされた」と思って外にとびだす。結局、おばあちゃんの心の真相は明かされないまま物語は終わるのだけれど、そこに一人の鑑賞者が自由にこの映画を見るスペースが残されている。きっと、この映画は見た人の数だけ、お父さんやおばあちゃんの人物像ができるような、そんな映画なのだ。

ぼくは、おばあちゃんの心の内をこんな風に想像する。

それまで、農業の手伝いをするための会話くらいしか描かれていないタエ子とおばあちゃん。映画に描かれていない日常的な会話があったとしても、最後にタエ子に切り出す話があまりに突然だったことは周りにいる人の反応が示している。

おばあちゃんはなぜ、このタイミングで重大な話をタエ子にしようと思ったのだろう?
そしてなぜ、他の誰でもなくおばあちゃんが話を切り出したのだろう?

そう考えたときにぼくの世界で構築されるのは、昨年に一回、そしてこの映画で訪れるのが2回目のタエ子を、農作業を「見ていて気持ちがいい」(とはおばちゃんの言葉)ほど手伝うタエ子を、一番気に入っていたのはおばあちゃんだったんじゃないだろうか、ということだ。

「ここが気に入っている」というタエ子は、何も言わなければ来年もおそらく来るだろう。農作業の合間に何度も会っているトシオとも、そのうちひっついて田舎に来るかもしれない。では、それは来年なのか?それとも再来年?

そんなに気長に、じぶんの歳は、身体は待つことができるだろうか。こんなことを言えば、タエ子さんが来にくくなるかもしれないことも分かっている。もしかしたら来年は来なくなるかもしれない。

では何もしなければ・・・何が変わるのだろうか?そもそも、来年もう一度くるかすら分からない。決まっていることなんて何もないのだ。ならばせめて、自分が思っていることだけでも伝えよう。

おばあちゃんは、タエ子が家を飛び出した後におじさんから「言わんこっちゃない」というようなことを言われた後「おれは悪いことしたとはおもってねぇよ」と、毅然とした姿勢で応えている。

ぼくがここで想像したようなことをおばあちゃんが考えたかどうかは分からない。田舎の人だから、いちいち言葉にして考えたりはしない可能性の方が高いと思う。けれど、おばあちゃんの態度に含まれているものを、言葉にして形にしたらこんな世界になるのではないか、ということを表してみたかった。

その3へ
  • ?±??G???g???[?d????u?b?N?}?[?N???A

0 件のコメント :

コメントを投稿