お金のインタビュー 大谷隆さん その2
公開日: 2016-03-05 お金
「仕事なら、どんなミスしても最終的にお金で解決してたと思う。」
大谷:仕事なら、どんなミスしても最終的にお金で解決してたと思う。誤植があったとして、結局修正するのにお金がかかって、その修正代をどっちが持つかっていう話だったんよ。「申し訳ないです。こっちが負担します。」って言えば、「そうですか。」って。
でもそれが、お金を媒介しないような、人のつながりの中の話だと、どこにも解決の糸口がなかったりする。「すいません僕が悪かったので、その分負担しま す」「わかったじゃあ、しょうがないね、次は頑張ってね。」っていう話にならない感じがして「これはしんどいことやなー。」という気がした。そういうこと は何度かあった。
二度と会わないようなことになるっていうのは、お金を使ってないことによる最悪の事態だよね。そういうことを、お金だったら、割とスマートに解決できてしまう、というのも一つの力だなーと思う。
あと、人のつながりを切った方がいい場合があるけど、しがらみがあったりしてコミュニティから抜け出せない、というときに、最終的にそれを可能にするのは お金の力だなと思うことがある。というのは、震災があって福島から子どもを連れて逃げ出したいと言う母親がいたんだけど、そんなことをしたら郷を捨てたっ て言われる、と。親戚付き合いの中でできないんだけど、もしその人に一億円あったら、何を言われても子どものために移住するって言う選択をできただろうな と思う。
そういう意味の、人のつながりを切る力って言うのがお金にはある。人のつながりのいい面と悪い面があるし、お金の力にもいい面と悪い面があって、それは両方考えた方がいろんなときに対応できるだろうなーと言う感じになっている。
小林:お金を通さない分、生の接触になるというか、よりどろどろしたつながりと言うか。
大谷:フリーランスみたいな仕事をしてると「ちょっと手伝ってよ。」って言われることがある。そのときに「友達なんだからお金は別にいいや」とも思うけど、払ってもらうと気楽に動けると言うか、そう言う面もある。友達として手伝ってよって言われたら、ちょっと入り込まないといけない感じがあるし、そう言 うレベルでもお金を使う使わないことで、いい面と悪い面ってやっぱりあるんだなと思う。
小林:友達として来てよって言われると、ちょっと入り込まないといけない感じがある?
大谷:僕が手伝う事に対して、何かしらの関心が無いとしんどい。だから「それってどういう仕事なん?どういう内容なん?」って聞いていかないといけない。でも「ちょっと少ないけど、日当1万円で手伝って欲しい事あんねんけど。」って言われると、聞かなくてもいい。
小林:了解できるのか。
大谷:だから頼むときもそういうのは割と意識してて、「これくらい払うからちょっと手伝って」って言うときは、そんなに内容を気にしなくていいと言うかね。
小林:そういうのを分かって使える方がいいよね。お金を媒体しない方がいい関係性もあるわけだ
大谷:もちろんある。例えば、「自然農やってる友達がいるから一緒に行って畑仕事手伝わない?一万円で。」っていうのは、おかしい関係になるよね。
NPOで仕事をしているときに色んな会議に出るんだけど、職員として参加する場合と、ボランティアとして参加する場合があるんよ。ボランティアとして関わ るんだったら、「このチームは何をやってるんですか?何のためにやってるんですか?」って聞かないといけない。でも業務だったら、あんまり気にせずに「大 谷さんちょっと会議の記録とってよ。」っていわれたら、どんな会議ですかってあんま聞かずにするというか。
小林:そういう判断分けみたいなものが大谷さんの中であるわけだ。
大谷:だから今、仕事って言われてお金払われてる方が、ものごとに対する善し悪しの基準が下がる。ボランタリーにお金もらわないときは、僕がそれにコミットしてるかを気にしないとできない。
小林:そうだね、別にいかなくたっていいわけだもんね、
大谷:ていうのと、加担してしまう。
その人がやろうとしている事が、僕にとって良くないことだったときに、それに加担してしまうときの嫌な感じが強い。仕事だったら「多分こういう風にやれ ば、僕なりに納得がいく。」って、自分の中で変えられる。考えて、そういう提案を何とかねじ込もうとするんだけど、(そうじゃない場合は)そういう感覚が あんまり、働きにくいかなー。
大谷:仕事なら、どんなミスしても最終的にお金で解決してたと思う。誤植があったとして、結局修正するのにお金がかかって、その修正代をどっちが持つかっていう話だったんよ。「申し訳ないです。こっちが負担します。」って言えば、「そうですか。」って。
でもそれが、お金を媒介しないような、人のつながりの中の話だと、どこにも解決の糸口がなかったりする。「すいません僕が悪かったので、その分負担しま す」「わかったじゃあ、しょうがないね、次は頑張ってね。」っていう話にならない感じがして「これはしんどいことやなー。」という気がした。そういうこと は何度かあった。
二度と会わないようなことになるっていうのは、お金を使ってないことによる最悪の事態だよね。そういうことを、お金だったら、割とスマートに解決できてしまう、というのも一つの力だなーと思う。
あと、人のつながりを切った方がいい場合があるけど、しがらみがあったりしてコミュニティから抜け出せない、というときに、最終的にそれを可能にするのは お金の力だなと思うことがある。というのは、震災があって福島から子どもを連れて逃げ出したいと言う母親がいたんだけど、そんなことをしたら郷を捨てたっ て言われる、と。親戚付き合いの中でできないんだけど、もしその人に一億円あったら、何を言われても子どものために移住するって言う選択をできただろうな と思う。
そういう意味の、人のつながりを切る力って言うのがお金にはある。人のつながりのいい面と悪い面があるし、お金の力にもいい面と悪い面があって、それは両方考えた方がいろんなときに対応できるだろうなーと言う感じになっている。
小林:お金を通さない分、生の接触になるというか、よりどろどろしたつながりと言うか。
大谷:フリーランスみたいな仕事をしてると「ちょっと手伝ってよ。」って言われることがある。そのときに「友達なんだからお金は別にいいや」とも思うけど、払ってもらうと気楽に動けると言うか、そう言う面もある。友達として手伝ってよって言われたら、ちょっと入り込まないといけない感じがあるし、そう言 うレベルでもお金を使う使わないことで、いい面と悪い面ってやっぱりあるんだなと思う。
小林:友達として来てよって言われると、ちょっと入り込まないといけない感じがある?
大谷:僕が手伝う事に対して、何かしらの関心が無いとしんどい。だから「それってどういう仕事なん?どういう内容なん?」って聞いていかないといけない。でも「ちょっと少ないけど、日当1万円で手伝って欲しい事あんねんけど。」って言われると、聞かなくてもいい。
小林:了解できるのか。
大谷:だから頼むときもそういうのは割と意識してて、「これくらい払うからちょっと手伝って」って言うときは、そんなに内容を気にしなくていいと言うかね。
小林:そういうのを分かって使える方がいいよね。お金を媒体しない方がいい関係性もあるわけだ
大谷:もちろんある。例えば、「自然農やってる友達がいるから一緒に行って畑仕事手伝わない?一万円で。」っていうのは、おかしい関係になるよね。
NPOで仕事をしているときに色んな会議に出るんだけど、職員として参加する場合と、ボランティアとして参加する場合があるんよ。ボランティアとして関わ るんだったら、「このチームは何をやってるんですか?何のためにやってるんですか?」って聞かないといけない。でも業務だったら、あんまり気にせずに「大 谷さんちょっと会議の記録とってよ。」っていわれたら、どんな会議ですかってあんま聞かずにするというか。
小林:そういう判断分けみたいなものが大谷さんの中であるわけだ。
大谷:だから今、仕事って言われてお金払われてる方が、ものごとに対する善し悪しの基準が下がる。ボランタリーにお金もらわないときは、僕がそれにコミットしてるかを気にしないとできない。
小林:そうだね、別にいかなくたっていいわけだもんね、
大谷:ていうのと、加担してしまう。
その人がやろうとしている事が、僕にとって良くないことだったときに、それに加担してしまうときの嫌な感じが強い。仕事だったら「多分こういう風にやれ ば、僕なりに納得がいく。」って、自分の中で変えられる。考えて、そういう提案を何とかねじ込もうとするんだけど、(そうじゃない場合は)そういう感覚が あんまり、働きにくいかなー。
(その1はこちら)
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