神話、宗教、科学を包んで見渡す言語 ブログの説明を変えました
公開日: 2017-02-27 言葉の研究
「宗教は科学(野生の思考と呼ばれる科学)を抑圧することによって、人類の精神に新しい地平を開いた。その宗教を否定して、今日の科学は地上のヘゲモニーを獲得した。そうなると、第三次の「形而上学革命」がどのような構造を持つものになるのか、およその見通しを持つことができる。それは、今日の科学に限界づけをもたらしている諸条件(生命科学の機械論的凡庸さ、分子生物学と熱力学の結合の不十分さ、量子力学的世界観の生活と思考への拡がりを阻んでいる西欧型資本主義の影響力など)を否定して、一神教の開いた地平を科学的思考によって変革することによってもたらされるであろう」
中沢新一「カイエ・ソバージュⅠ 人類最古の哲学」
数年前に読んだときは、心地よく読めてしまう哲学書、という印象だったのだけれど、その心地よさは中沢新一が話すように書く書き手であり、とりわけこの本は、大学の講義を録音したものをもとに編集されていて、明確な意図を持って話体をあつかう中沢新一の力を最大限に生かして書かれていることが背景にあるのだと、今になってわかった。
そうしなければ言葉にできないようなことが、この本で文字にしたかったことなのだとおもう。
本のタイトルの「人類最古の哲学」とは神話(を生み出した思考)のことで、宗教はだから神話を否定して現れ、次に宗教を否定して科学が現れた。
括弧書きの
(生命科学の機械論的凡庸さ、分子生物学と熱力学の結合の不十分さ、量子力学的世界観の生活と思考への拡がりを阻んでいる西欧型資本主義の影響力など)という部分については、なんとなく3つめが分かる気がする程度で、もうすこし知っている人から話を聞いたり、本を読む必要がありそうだけど、もうこれは言語(の営みを捉えて為される思考)のことだということだけは直感した。
言語の営みからものを見ていくことで、はっきりと科学や宗教とは違う視点から世界を捉えていくことが可能になることは、前の記事のFacebookの洞察とか、人間関係の洞察とか、日常会話や、何気ない文章の洞察である程度手応えをつかみ始めていて、これを繰り返していくことで、ほとんど間違いなく示せると思う。
ということで、説明が変わりました。
それがどういうことなのか、というのは、このブログ、あるいは言語の中で書いていくことなのだと思います。
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