話体と文学体とラインとツイッターとFacebook

公開日: 2017-02-24 言葉の研究 暮らし

さらばツイッター


書くこととか話すことを
よくよく見ていくと、
話し方や書き方って一人ひとり違っていて、
書き方について言うと、

話すように書く人と
書くように書く人
の二つに大きく極をとれる。

吉本隆明なんかは話体と文学体と
言っているけれど、
吉本にとって自明すぎるのか
細かい説明はされていない。

​こうして話し言葉風に書いているけれど、
ぼくは書くように書く傾向がかなり強い人で、
話すときも「書くように話し」ていたりする。

ここ数年くらい、
自分のことを表現するのにどんな媒体を選ぶか、
いろいろ試してきていたけれど、

こういうことがようやく分かってきて、
そろそろ媒体選びは落ち着きを見せそう。


なにを表現するにしても
書くように表すと固定される度合いが強くなるから
空間をつくりやすいのが相性がいいみたい。

たとえば、
書く講座のサイトをつくってわかったのは、
ホームページはすごく空間性が強い。

「ホーム」とか「アドレス」って
言う用語があるくらいだから
建築空間とかに似ているんだと思う。

それは、
「ゆくくる」のホームページを見返しても思うし、
この間​紹介した「読み明かす会」でもそうで、

つくった人、関わっている人、が
表現したものが固定されて
存在し続けるのが建築空間の特性で、
一度つくられたらいつでもだれでも来れる。


これと対極にあるのが
LINEで、
ほとんど閉じられた空間の中で、
瞬間的なやり取りが流れていく。

もちろんやり取りは
文字でされるから
身体から離れて残り続けていくから
空間性が発生していて、
ホントの話し言葉とは決定的に違う。

LINEをほとんどしてないから
憶測も入るけど、スタンプ機能は
身体性がないかわりに、
感覚的なやり取りができる点で、
極めて話し言葉と相性がいい気がする。


こうして二つの極をとると、
他のほとんどの媒体はこの間にあって、
LINE以前、ウェブ上の話し言葉の極は
ツイッターだった。

個人のアカウントはあるけど、
タイムラインは流れ続けるから、
極めて時間的、話し言葉的な空間で
140字という字数制限があるのも、
話し言葉の雰囲気をきちんと出している。

講演とかプレゼンでもない限り、
人は一息にそれほど長く話さない。


反対に、ブログはホームページと近い
書き言葉よりの媒体だけど、
記事が流れていくから
少し時間的な要素が入っている。


Facebookは、
投稿自体は書き言葉でも話し言葉でも可能だけど
コメントやタイムラインは瞬発性を持って、
勢い良く流れていく。つまり、話し言葉的。

ところが、
コメントがつくとタイムラインの上に戻ったり、
「いいね」していることがお知らせされたり、
団体や活動のページは「いいね」の数が露骨に出たり
Facebook独自の仕組みやシステムによって、
独特の固定化された空間ができあがる。
から妙な空間性を持っている。

合わせて、
妙な空間性を持ってやり取りされる
話し言葉的な空間。

ちなみにぼくは、
以前「Facebookが苦手な感じ」があって、
それはこの独特の固定化から生まれていた、
ということが今になってわかってきた。

投稿や表現自体は書き言葉的にもできるけど、
コメントが話し言葉よりの構造をとっているのも
ぼくにとっては混乱のもとだった。
何を書いても書き言葉一辺倒になってしまうから。

今は、
Facebookの独特さと、
じぶんの文体とを自由に合わせたりズラしたり
できるようになったので、
ほとんどストレスを感じなくなっていて、
ぼくにとっては
「書くように表現して
話し言葉的にやりとりする空間
(けど、話すように投稿することも可)」
として、見るようになった。うーん、独特だ。

ということで、
ホームページ、ブログ、を中心に、
話し言葉的なものは
Facebook(のコメント)までが限界という、
なんとも書き言葉中心のセレクトなんだけど、

これらでぼくの表現したいことは
充分すぎるほど表現できる気がしていて、
こっそり復活していたツイッターのアカウントを
廃止することに決めたのでした。

これから話し言葉が上手くなったりしたら
使うこともあるかも。



追記
たぶん、話すように書く人は、
LINE、ツイッター、ブログ、あたりをラインナップに
ホームページとかFacebookと連動、
ってのがいいのだろうな、
と書いて、やっぱり今は話体の人のほうが
表現にマッチしたものが多いんだろうなと
うらやましく思いました。
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