ナビを消したら人生がおもしろくなる という話
公開日: 2017-03-29 暮らし
書いてるうちにブロガーっぽくなったので、「ぽさ」を出してみた。写真は春先の関門海峡 |
先々週に、
「ゆくくる」で鹿児島・長崎に行ってきた。
長崎に行ったときの記事はこちら。
・けんちき・かおるこ への手紙 二人の紹介に代えて・こどものたまり場「かっちぇて」 手加減なしで本気の「誰でもきていい」を実現する自由な場所
その道中、長距離運転する中で
「カーナビをオフにした方が疲れない」
ということを発見して、
これって人生にも通ずる真理じゃんと、
盛り上がったのでした。
と書き始めたら、こんな記事を発見。
GPSナビの使用中、人間の脳は方向感覚をオフにすると判明
記事の内容では、
方向感覚のオンオフとしているけど、
もっとそのときの体験にそくして言えば、
カーナビの写真なんていちいち撮らないから無料のやつを探したらなんか変だ・・ |
ナビを見ていると、
車を運転して実際の空間を移動する感覚じゃなく、
すごろくみたいな、
表示される地図の上の駒を進めてる感じになる。
高速道路だと分かりやすいですが、
そうすると、目の前の道は、
目的地に到達するために通り抜けるための
通過点、になるんですね。
だとすると、早く通り抜けたほうがいい。
しかも、この先のマイルストーンなんかも
「あと何キロで◯◯サービスエリア」とか、
到着予定時刻を一分単位で教えてくれたり、
地図表示によっては、
今全体の道のりの何分の一くらいにいるとか、
そういうことまで分かるわけです。
妙に疲れるなと思って、ナビを消してみると、
そういう情報が一切なくなって、
そのかわり、ただただ目の前の道がありました。
ぼく運転してたのでもちろん写真撮ってません。。のでこれも無料のやつ。 |
これ、全然疲れが違うんですね。
そうやって運転してると、
アクセルを踏んだときの加速する感じとか、
ちょっとした段差で車体が浮き上がる感じとか、
目の前の道と、その道を走る自分たちのことが
感覚の中心になってくる。
さらにこれ、その感じでずっと走るから、
体感的には、目的地に着いた時、
「もうこんなに来たの」っていう感じに
なりやすかったりします。
授業中に時計ばっかりみてると遅いけど、
面白い授業を夢中で聞いてたら
あっという間だった、とか、
そういうのに近い時間感覚の違いです。
なんか、記事がブロガー「っぽい」感じになってきたから、「ぽい」画像をつけてます |
で、これ人生と同じだなーって思うんです。
たかだか到着が一分や二分遅れるなんて、
滋賀から山口に向かう7時間以上の時間にとって
大したことないわけです。
けど、「あ、今一分減った」「あ、今増えた」
なんて気にしながら、
「ちょっと次のパーキング寄りたいけど
せっかくここまで減らした分が帳消しかー。」
なんて、ケチくさく思ってしまうんです。。恥
そんなことより、
今寄りたいのかどうか、で充分じゃないですか。
「残りあと400キロもあるのかー、
なかなか減らないな。」とか、思ってるより、
「このへん山ばっかりだなー、
お、今初めて広島の標識出た、けど
250キロって、遠っ!」
とか言ってる方が楽しいじゃないですか。
左ハンドル。もちろんこれも「ぽい」やつを探してきました。 |
人生も似てるなーって思うんですよ。
得ようと思えばいろんな情報が手に入るから、
カーナビみたいに、自分の人生のナビゲーションも
現代なら結構精度良くできちゃうんだと思うんです。
で、ナビに合わせて効率的に、とか
できるだけ早く、とかしているうちに、
到着して、「あれ?次どこにいくんだっけ?」
みたいなね。
次の目的地をセットしつづけるのもいいけど、
今、目の前の道を楽しんだら、
思いもかけない景色と出会ったり、
そもそもその目的地に行かなくてもいいような
状況になってしまったり。
長崎の友人夫婦の家にて、東京の友人夫婦と。 |
僕自身はそうやって生きようとしてきて5年ほど、
まわりにも、そんな行き方、
じゃなくて生き方している人が増えてきて、
久々に会ってお互いの状況なんかを話してみると
やっぱりそうだよね、と思うようになってきました。
でも、入り組んだ下道を行くときの
ナビはほんとに便利なんだけど。
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