頭デカあるある 地味でささいな頭デカ一族の苦しさ

公開日: 2017-04-07 お笑い

 今回は認識論の「あるある」じゃなくて、「よくあるよね」っていうやつの方。

はじめに
 わたくし、小林健司は頭がでっかいです。どれくらいでかいかというと、帽子専門店で試着した帽子が全て入らないorきつかった、くらい。あるいは、アメリカの登山系のメーカのXLサイズの帽子がきついくらい。です。もしやと思い母に聞くと、生まれるときから頭が大きくて産道につかえて大変だったそうです。生まれながらの頭デカサラブレッドです。

 なので、ぼくにとって帽子はおしゃれとかファッションの世界には一ミリも属しておらず、帽子を見たら敵と思え、「帽子?帽子がぼくに何の用?てか(頭に)入るの?」というのがぼくの帽子観です。

 そんなぼくに数年前、友人が手づくりの帽子を作ってくれたのですが、それが現在までに確認されているぼくのかぶれる唯一の(ハット型の)帽子で、世界に一つだけの敵じゃない帽子です。

これがその帽子。


 ところが、世の中には頭のでかい人はそこそこいるみたいで、こんな話をしていると「じつはおれも頭が大きくて」という人とたまに会うのです。(女性で頭大きいって言う人はまだ会ったことがない)

 そこで始まるのが、お互いにぴったりの帽子をかぶりあうこと。これはユニフォーム交換のような生ぬるい友情の表現ではなく、相手の帽子をかぶってみて、きつければ勝ち(じぶんのほうが頭が大きい)、ゆるければ負け(上には上がいた)という、頭の大きさのガチンコバトルでもあるわけなんですが、今のところ、ぼくは無敗です。

腕相撲だったらかっこいいのに。


 なので、ぼくの持ってる帽子は、「世界で最も大きな頭を持っているのは誰かを確かめる」という使命を授かっているのですが、それほど必要でも重要でもないので早くだれかに譲りたく、「おれ頭がでかいんだよね」という人にはできるだけ試合を申し込むようにしているのですが、なかなか負けられません。

 前置きが長くなりましたが、今のぼくはべつにそれで困ってるとかコンプレックスがあるというわけじゃなくて、でも頭デカチャンピオン決定戦をするほどの人となると、「あー、あるよねーそれ」という体験や話題がけっこうありまして、バトルのことなどすっかり忘れられるほど、これがまた盛り上がります。

 今回は、そんな話を「ソーシャル風」のテイストでいくつかご紹介します。

(なお、自覚がない方でも下記のあるあるに該当するというかたは、間違いなく頭デカの系譜を継ぐ一族に属しています。ぜひぼくの帽子をかぶっていただきたいです。あとできれば頭デカチャンピオンの称号をお譲りしたいです。そしてぜひ、ほかの体験談などお寄せ下さい。何の役に立つというわけじゃありませんが、世の中がちょっとだけ面白くなると思っております。)

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【頭デカあるある1 学校の帽子(主に赤白帽)がきつい】
 基本的にホモ・サピエンス・サピエンスの、アタマデカ科に属する人は、その生涯を「頭が締め付けられる」こととどう折り合いをつけるのかに、ほとんどの時間を費やすことになります。

ニッセンのサイトより。サイズはM、L、LLの三種類でした。

 そして、現代の日本社会で最初に待ち受けている試練こそが「赤白帽の着用」です。わたしが小学校を卒業してから20年以上経ちますので、今なお全く大きさの違う一人ひとりの頭をSだMだXだという無機質な基準で分け、人間の頭部の持っている豊かな多様性を無視した悪しき規則が続いているのか、それとも、勇敢な頭を持った人が声をあげて撤廃されているのかは知りませんが、これが本当に、地味にキツい。

 おそらく、小学校入学時に購入する赤白帽ですが、どの親も入学時点では大きめのサイズを選ぶと思われます。またおそらく3,4年生あたりでもう一度(人によって5,6年あたりでもう一度)買い替えるので、実際3,4年生あたりまではそれほど苦しい記憶はありません。しかし、問題なのは5,6年生です。

 なにしろ、頭デカ一族とは、想定される最大サイズに収まりきらない頭を持つ人たちのことですから、小学校高学年ともなれば、児童が着用する想定サイズくらいは余裕で上回ります。
 とくに運動会シーズンになると、長時間着用するため、ゴム紐が徐々に頭をしめつけてくる微妙な痛みに耐えながら、スキを見つけて帽子の間に指を入れて緩和したり、帽子を脱いで頭にショートブレイクを与えるなどの、ちょっとした努力が欠かせません。



 また、一時間目が体育だからなのか、日差し対策だったのか、朝礼で赤白帽をつけているとき。これはもっと地味なキツさがあります。なにしろ朝礼中なので、帽子をとるわけにはいきません。かといって帽子に指を入れようにも、両腕は身体の横につけた「きをつけ」の姿勢、もしくは後ろに組んだ「やすめ」の姿勢でいるわけですから(今考えるとこの号令もなかなかのツッコミどころがありますが、それは今はおいておいて)、頭を休めるチャンスがなかなか来ません。

 なので、頭デカ一族の子どもたちは、体育の時間でも、朝礼でも、運動会でも、「普通」の頭を持った人たちには分からない、孫悟空の頭を締め付ける輪っかを、100万分の一くらいにマイルドにした微妙な痛さに耐えながら、日々あの帽子をかぶっているのです。お子さんが頭デカ一族の末裔の場合は、ぜひそのあたりに配慮してあげて下さい。




【頭デカあるある2 タオルハチマキが結びにくい】
ホモ属、アタマデカ科、シメツケガマン目(もく)、に分類される頭デカ一族の人生につきまとっている、地味でささいな苦しみについて、多少は理解がいただけるようになってきたでしょうか。
 
 続けて今回は、タオルハチマキです。現代の日本社会に生きる人ならばほとんどの人がやったことのあるであろう「タオルをハチマキのように頭に巻く」という行為ですが、これも「できないことはないけどすごく結びにくい」という地味なキツさを持って、頭デカ一族につきまとっています

 これはもう、実際にみてもらう方が早いですので、こちらを御覧ください。

結ぶ前の、手で持っているだけの状態です。ここから二回結ぶことは難しいです。


 ってあんまりうまく撮れませんでした(今、周りに人がいないので、セルフタイマーで撮影しました)。。。さすがに両端が届かないことはありませんが、結ぶための余裕がほとんどありません。上手く行けばひも結びできますが、最悪の場合一回だけぎゅっと結んで、徐々にゆるくなってくるタオルを何度も結び直すことになります。

 たとえば引っ越しの時。休憩から急に作業が始まっても、「あ、ちょっと待って」と妙に時間をかけてタオルを結んでいる人がいたなら、それは頭デカ一族の血を引いているかもしれません。もしそうだったなら、恥ずかしがらせないように苦労を察してあげてください。そして可能なら、ここで知ったことをもとに声をかけてあげてみて下さい。誰にも理解してもらえない苦しみに目を向けてくれる人がいるのは、頭デカ一族にとってなによりの救いです。


【頭デカあるある3 帽子は形状でなく、入るかどうかで選ぶ】
これはもう冒頭に話したので、特に付け加えることはありませんが項目としては押さえておきたいと思います。われわれにとって、XLやときにはXXLというサイズでさえ、ちょっときつめの帽子でしかありません。このことは、次のヘルメットの話にも重要になりますので、ぜひ覚えておいていただきたいです。

こういうのはたぶんすべて入りません。



【頭デカあるある4 ヘルメットがきつい】
 当然のことながら、今ぼくの手元にはヘルメットなどという頭デカ一族の人権を無視した物は持ち合わせていませんので、図で説明してみます。例えば大型のバイクの後ろに乗せてもらう場合に、ヘルメットを渡された場合はたいていこのようになります。


ヘルメットonヘッド




 これでは当然落ちてしまうので、どうするかというとあごひも(大概はカチッとなるやつ)で無理やり固定します。するとこうなります。

ちょっとぼけてしまった。。


息ができません。これでは乗ってる間に窒息してしまうので、どうするかというと、ヘルメットの中に無理やり頭頂部を押し込みます。(もう画力が足りないのでご想像下さい。)とうぜん、頭は赤白帽の比じゃないほど締め付けられます。何しろ相手はプラスチックなどの硬い素材ですから、痛いです(特に頭の側面が)。
 
 なのでこういった状況で頭デカ一族がバイクに乗る場合、頭の痛さと息の苦しさの両方のバランスをとりながら、それぞれが限界を越えないようにギリギリのところで調整します。

 あなたが大型バイクをお持ちで、二人乗り用のヘルメットを渡したとき、かぶろうとしているけれど頭の上に乗っている、あるいは、かぶったものの痛そうな表情をしているなら、それはもう、間違いなく頭デカ一族です。何らかの対応を早急にすることをおすすめします。息が詰まって重大な事故につながる、もしくは目的地に到着した同乗者は頭痛と酸欠で息も絶え絶えになっている可能性があります。こういった事情から、頭デカ一族がバイク乗りになることはほとんどありません。
 
 ここで、「大きいサイズのヘルメットを用意すればいいのでは?」と思った方、そういう考え方こそが頭デカ一族の頭を締め付けていることに、そろそろ気づいて下さい。

 赤白帽のくだりで説明したとおり、また「頭デカあるある3」で言ったとおり、世の中にある「頭にかぶるもの」は、頭デカ一族の頭の大きさを無視して作られていおり、もはやその状況は「頭のデカイものかぶるべからず」とでも言わんばかりの状況です。当然、ヘルメットも同じ状況なのです。無いものを指して「それを用意すればいいじゃない」というのは、「パンがないならお菓子を食べればいいじゃない」と言うのと同じなんです。

頭デカ一族 青年部代表 小林 アタマデカ 健司 
 
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 いかがだったでしょうか。

 ここまで書いて気づきましたが、もしかしたらぼくがこれまで女性の「頭デカ一族」にお会いしたことがないのは、骨格的な違いに加えて、恥ずかしくて言えないからなのかもしれないと思い至りました。そう、頭でっかち、なんて言葉があるくらい、頭がデカイことはそれほど良いイメージを持っていません。

 なので、男性のぼくでも頭がデカイことは恥ずかしく、赤白帽もヘルメットもタオルハチマキも、できるだけ気づかれないように工夫していた頃がありました。というよりも、ここまでお読みいただいたとおり、それってちょっと笑ってしまうくらいの、ささいで、地味な苦労だから、言わなかったんです。

 けれど、この「地味でささい」というのがくせ者で、だからこそわざわざ口にしないし、だから簡単になかったことにできちゃう。けれど「地味でささい」であっても、痛いもんは痛いし、きついものはきついんです。たぶん、頭がでかい人同士で「あーそういえば、赤白帽きつかったよねー!」っていう話で盛り上がったりするのは、今までほとんど話したことがないからなんじゃないかと思ってます。

 「頭デカ一族」の苦労はさすがに「ソーシャル」な課題にはならないでしょうが、「言えない状況」によって苦しさが生まれるという構造自体は、いわゆる「社会的な課題」っていうものも同じなのではないかと思ってます。
上の「あるある」では、バカっぽく書いてますが、でも世の中で主張される正しさって、頭デカ一族の嘆願書、くらいのものもたくさんあるように見えていて、もし大真面目に頭デカ一族がアクションを起こしたら(ということ自体が笑えるはずなんだけど、最近では「謙虚さを世界に発信する」という矛盾を国がまじめに主張する、なんてことも現実に起きてるので、あながちありえなくもないことかもしれないと思いつつ)、それは窮屈な状況を生むんじゃないかなと思います。

 正しさに走るんじゃなくて、ちょっと話してみる、面白がってみる、そういうことができる状況を作ることの方が、生きやすい「社会」ってやつをつくるには、重要なんじゃないかな思います。


頭デカ一族の人々

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