音読とピアノと絵本

公開日: 2018-07-10 音読関連

今度音読の合宿をするので、音読関係の記事を書いてみました。

友人にプレゼントしてもらった絵本 息子のお気に入り


以前、面白いコンサートや企画をするピアニストの友人が話してくれたことが音読と驚くほど通じていて、楽譜を演奏するということと、文章を音読するということは、かなり近い行為なのだなと思ったのでした。

一般的に音読というと、学校で読まされた体験とか、テレビやラジオ、CDなんかでプロの俳優やアナウンサーのを聞いたことなんかが浮かぶんじゃないかと思います。

で、以前のぼくもそうだったんですが音読ってちょっと気恥ずかしい。というか、苦手というか、読むのも聞くのもそれほど好きじゃないというか、まあほとんど嫌い、なんじゃないかと思うんです。大抵の人は。

けどこれ、ピアノに限らず音楽と比べてみるとその理由も、そして音読って面白いなと思えそうな理屈も見えてくるんじゃないかなと思います。学校やテレビの経験しかなく、眼の前で音楽が好きな人や、真剣に演奏している人を見たことがなければ、そりゃあ興味もわかないし、やりたいと思う動機が出てきません。

齋藤孝さんが昔、「教え力」という本で教師のもっとも根幹をなす力は、それそのものが大好きなのを生徒に見せることだ、と言ってましたが、これは本当にそうなんじゃないかと思います。ぼくなりにその意味を咀嚼すると、膨大な時間をそのことに投入して、伝えるのに余りあるくらいいろんなことを考えた経験、ともいうようなもの。

で、話は戻って、音読についてなんですけど、音読でそういう人に出会うって、まず無いと思うんです。ぼくも記憶に残っている生の音読、それも聞いててこの人音読好きなんだなとか、自分も音読してみよう、なんて思う体験は一切したことがありません。

でもおまえ、自分で音読の会とか合宿とかやってるじゃないか、というのはそうなんだけど、全く身に覚えがない。それで、これはこじつけかもしれないけど、一応辻褄が合いそうだなという情報が一つあって、ぼくの母親が生後8ヶ月だか9ヶ月くらいから絵本を読んで聞かせてたらしく、しかもそのとき母(ぼくの祖母)からは「そんな小さいのに絵本読んでもわからないでしょ」と言って笑われてたのだとか。つまり、それでも母親は読んであげたくて、ぼくに絵本を聞かせていた、と。

確かに、音読の会をするとは全く思ってもいなかったけれど、学校の授業で教科書を「。」ごと、とか段落ごとに音読していくことがよくあると思うんですが、ぼくそれ結構好きでした。だから、できるだけ長い文章のところが回ってこないかな、なんて思いながら、じぶんの当たるところを確認していた記憶さえあります。

そう考えると、これはもう、ぼくがこうして音読の会なんかをする大部分は、うちの母ちゃんにもらっていると考えていいんじゃないかなと思うわけで、いや、ほんとにありがとう。

とはいえ、だからといって幼児期の読み聞かせはやったほうがいいですよ、とはなりませんのでお気をつけて。絵本読んであげたいのに我慢している、というなら、それはすぐにしてあげるべきですが、単に読みたくてするんじゃなくて、○○だから読んであげる、という音読を聞くのってちょっと重い、というか、なんかを期待されて絵本読まれても、幼児の立場的には集中して聞けないというか、だと思うんです。

たぶん、人によってそれぞれ、ついついやってあげたくなっちゃうことって、無数にあると思うのですが、ぼくとしてはそういうものをできるだけ、自分も楽しみながら子どもと一緒にしてしまっている、という状況がいろんなバリエーションでいろいろと行われていると、子どもにも大人にも面白いことが、目の前でもそしてずっと後になっても、起こるんじゃないかなって思ってます。

ちなみにぼくは、やっぱり子どもに絵本を読むのは好きで、一歳になる前から気が向いたら読んでました(母の話を聞く前から)。この時期の子どもにとってはおそらく、パラパラとページがめくれることとか、それで絵が変わること、そして読んでくれる声とその音の感じ、なんかが面白くて聞いてるんじゃないかなと思います。

あぁ、でもこれって、デリダの本を音読して面白くなってきたときと、ほとんど同じ現象ですね。絵本のように実際にページをめくるときではなく、一文ごとに、段落ごとに移り変わっていく景色とか、やってくる感覚を微細にキャッチしていくとき、単に「読む」という行為そのものが面白い、そんな気分になります。

話しだしたらどんどん絵本の話になってしまいましたので、ピアノと音読の具体的な共通点などは別の機会に書けたらと思います。

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