小林よしのりと吉本隆明

公開日: 2018-07-06 ニュース考


麻原死刑執行に思う1 小林よしのりと吉本隆明

この記事の続きとして書いたけれど、本題から逸れた上に、これはこれで一つの記事として成り立ってしまったので、別立てで掲載。


知識人とか思想家と呼ばれている人のほとんどは、大学の教授だったりする。現代の日本で、大学に所属せずに知識や思想を説いて暮らすことの意味は、作家として生きることと同じで、吉本隆明は既存の価値観や所属に縛られずに、自身の思想を一人の作家として形にし続けた稀有な存在。

吉本くらい名が売れていれば、簡単なことだったろうと思っていたけれど、最新の全著作集のまえがきのような付録に、吉本の娘であるハルノ宵子が父との思い出などを綴っている。いわく、書くことに手抜きができない父は年に一、二冊の新刊を出すのがやっと。中には何年もかけて書くような本もあるから生活に余裕があるわけでは決してなく、あるときはお金に困った末に、献本された本を古本屋に売りに行ってしのいでいたりもした、のだとか。

簡単に言えば吉本の暮らしは自分の出した本がどの程度売れるのか、にかかっていた。かといって、著作を読んでも売れそうなことやウケそうなことは書かれていない。(出版社から持ち込まれた対談形式の書籍は別として。)つまり吉本隆明という存在を成り立たせていたのは、確実なことだけを述べて安全に自分の地位を守ることではなく、どれほど危うくとも「私にはこのように考えらえれる」ということを、常に自身の暮らしや過去の言説の信ぴょう性までもかけて発言し続ける態度にあったと言える。

吉本の存命中にその著作に全く触れることのなかったぼくが、というよりも、「よしりん」の影響を受けて最悪の前評判を持っていたぼくが、吉本の言説は真面目に受け止めるだけの信頼性があると思ったのは、常に正しいことを言うからと言うより、そういう態度が言葉の端々に込められていると感じたからだった。

小林よしのりには、そうした吉本隆明の思想的なスタンスや、暮らしぶりにまで目を向ける必要性も必然性も結果的に生まれなかった。小林にとって吉本はマルクスに心酔した多くの「左翼」の一人であり、大した意見も持たないくせに小難しい理屈や知識をひけらかして大衆に権威を示す「知識人」の親玉で、そう片付けてしまうことは、最初こそ勇気が要ったものの、蓋を開けてみれば自身が作品を作り続け、ヒット作を飛ばすことに何の支障も問題も来たさなかった。

前置きが長くなったけれど、10数年ぶりに小林よしのりが吉本隆明を「裸の王様」と批判していた「個と公論」を読んだ率直な感想は「こんなにひどい本だったのか」だった。当時小林よしのりを批判する人の中に「漫画で表現してるのが悪い」とか「自分はかっこよく書いて、論敵を醜く書くのがダメだ」という完全に的はずれなことを言っている人がいて、もしかしたら当時雑誌やなんかではそういう的はずれな批判が多かったのかもしれない。

けれど、そういうデタラメな批判の一つに吉本をくくって、ひどい片付け方をしていることは、両者の本を読み比べれば簡単に分かる。(100ページ以上の間をあけて記載されているものをつなげて引用したり、記者の言葉に頷いただけの箇所をさも主張しているかのように書いたり、原文の言葉を一部削除して印象を変えたり、意図的にそうしていることが分かるのだけれど、それはまた別の記事で)

そして分かってくるのは、「小林よしのりの本なんか読んでいる若者は☓☓だ。」という意見に対して、「自分の読者を馬鹿にするな」と言っていた「よしりん」が最も読者をバカにしている、という図式だった。読み比べればすぐに分かるような内容を、堂々と本にして出すというのはつまり、そんなことをする読者はほとんどいないと確信しているからだ。そしてこの場合、もっともバカなのは、まんまと読み比べもせず「よしりん」の言うことだけを聞いていた僕自身だ。

だからといってゴーマニズム宣言や戦争論の読者を、弱い存在だとか、考えが足りない集団として片付ける安直な批判者も的を外している。そうした反論本も読んでみたけれど、ことごとく「よしりん」ファンになった自分の感覚からは程遠く、ピンとこなかった。(いくらかまともなことを言っているのはこれまた「個と公論」で散々言われている姜尚中だった。)

これはおそらくになるけれど、小林よしのりのファンは回りから信頼され、周囲を引っ張っていくようなリーダータイプに多いのだと思う。かつての自分も、学級委員長をしたり、文化祭の班長をしたり、大学自体は当時まだ黎明期のNPOの世界でインターンという言葉もない時代にほとんど無給に近い薄給で働いたりしていた。(そしてぼくの周りにいる若手のNPO経営者や幹部職員には小林よしのりファンが結構な数居たりもした)

正義感や責任感を持っている人が、自分の存在の裏付けとなるような物語を提供してくれるものがゴーマニズム宣言であり戦争論だった、あるいは今もそうだ、というのはそれほど的を外してはいないと思う。

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