麻原死刑執行に思う1 小林よしのりと吉本隆明

公開日: 2018-07-06 ニュース考

ちょっとした怪我で病院に通う。

病院の待合スペースでいつも座るあたり、ちょうど真上にテレビがあってしばらく眺める。前に来たときと同じ、わりと好きな漫才をするお笑い芸人のコンビがゲストを迎えるトーク番組。そういえば前に来たときも同じ番組がやっていたけれど、今日は画面の端に大雨による被害や避難勧告の情報が流れ続けていて、一昨日から大雨が続いている。

大学の頃からモデル業をしていたという俳優が、パリコレに出た時の話をしていると、速報が入ったとかなんとかで画面が切り替わって、「麻原彰晃、本名、松本智津夫死刑囚に本日死刑が執行されました」と言う。オウム真理教や教団が関与した主な事件とともに、3回ほど同じ言葉が繰り返された後、サリン事件の遺族の映像が流れる。

過去最悪の大規模な組織犯罪、その元凶とも言うべき教祖が長い裁判の末にようやく死刑という裁きを受ける。事件の傷跡はまだ癒えることはないが、これは一つの区切りになるだろう。「弁護団側が被告の精神状態を巡って裁判のやり直しを求めていた」というコメントを添えながら、速報は今朝起こった大きな出来事を伝える。

「そういえば、そんな事件があったな」「ようやく死刑になったのか」という感想と、せいぜい遺族や被害者に思いを巡らせて、診療を受けた後にはすっかり忘れる。少し前の僕ならそんな風に右から左へ流れていくはずのニュースだった。けれど今は、そんな風にテレビを眺めてはいられなかった。「死刑執行」と聞いたときテレビが伝えるだろうことは予想がつき、その予想通りの内容を繰り返し流し続けるのを、ただ眺めている自分が歯がゆかった。


オウム真理教に関連した事件について興味を持ち、自分なりに調べてみようと思ったのは、小林よしのりと吉本隆明がきっかけだった。高校生の時、本屋で偶然立ち読みした小林よしのりの本にドハマリした僕は、それから大学在学中まで、「よしりん」(熱心な読者はそう呼ぶ)の出す本はもちろん、連載しているサピオという雑誌も購読していた。大切な人、愛する人、友達や家族の住む日本という国を、少しでもよくするために、この国の課題を解決するような仕事をしていこう。2年からNPOでのインターンに行きだし、卒業後にインターン先に就職、その後10年ほどNPOの世界を中心に仕事をしていた一つの原動力は間違いなく「よしりん」にもらったものだった。

けれど、最終的にぼくがNPOに抱いていた期待や理想は挫折する。こう言うとき、今までは「自分の力不足もあって」という一言を入れてきたけれど、それは必要のない遠慮や謙遜だったなと思う。(今では事の本質は間違いなく人と人の関わりを認識の手前で決めてしまう構造的な部分にあると言い切れるのだけれど、そのあたりは下記の、NPOにハマる構造と小林よしのりにハマる構造の共通性も含めて、あらためて自分自身のことを振り返りながら書いてみたい。)

さて、そんなNPOでの挫折の過程とともに、ぼくは「よしりん」の作品に魅力を感じなくなっていった。おそらくぼくが小林よしのりに惹かれ、行動にまでその影響が及んだことと、NPOという考え方やその組織運営のメカニズムは深いところで連動しているのだけれど、そんなこととは全く関係なく、ぼくは吉本隆明と出会うことになる。

友人から勧められ読み込むことになった「言語にとって美とはなにか」は、難しすぎて眠気しか起きなかったけれど、読み込んでいくとバカがつくほど真面目に、吉本が自分自身の言葉で言語の本質に迫った本なのだと知った。そうして吉本のことを知っていくにつれて、小林よしのりが「裸の王様」として切り捨てた吉本隆明というのはなんだったんだろう、と思うようになっていった。

本屋に行くのが大好きなぼくは、そういえば人に進められるまで吉本隆明の本を手にとったことがなかった。けれど吉本のことを知れば知るほど、記憶の中で「よしりん」にボロクソに言われていたはずの吉本隆明は、単に知識をひけらかしたり、権威や評判のために変なことを言ったり書いたりするような人とは思えなかった。

そんなことで、10年も前に売り払った「よしりん」の本を買い戻し、改めて小林よしのりがどんな風に吉本隆明について語っているのかを確認してみよう、というのがことの始まりだった。


死刑執行について書こうと思ったけれど、そこに至るまでに時間がかかったので、このあたりで一区切り。

続きはこちら。

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